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宗 教と価値観  〜EUの過去と現状の偏向的な分析〜

 本 日は前に書いた論文(モドキ)へ最近の国際情勢を絡めて掲載致します。


 以前の記事で“普遍的価値観など存在しない”と書きましたが、其れは「人類、または種という大きな括りに於いては」という前提がつきます。
 家族間では大抵同じ利害関係にあるでしょうし、共同体間(会社や村、町や市単位)でもそうでしょう。多少大きく出れば国家――国益と呼ばれる其れを求め ても、同国人からは歓迎されます。

 具体的な例を出せば税金ですね。日本全国何処に居ても(大体)納める税金は同じです。
 しかし各自治体へ配分される国家予算は違います。大抵は人口へ比例しているでしょうが、僻地や離島、また都市部と比べて人口比で遙かに低い所へ、同程度 の予算が下りる場合もあります。
(中には防衛上の要所になるという判断から)

 此を不公平だ、と言う方も居るでしょう。ですが私は必要であるとも考えます。
 採算の良い事業は民間へ回せば良いだけの話で、必要な――少なくとも其処へ住んでいる人間にとって――インフラや設備投資を、必要ないと切って捨てるの は誤りです。
(富の集中と再配分が国家としての役割である、とも言え ますが、長期的な視野や戦略によって政策を進める必要もあります――一見無駄な投資であっても、地元産業の活性化、技術や伝統芸能の維持には欠かせないも のであったりします)


 例えば地方の道路を整備したいと思います。
 其処は一日百台程度が通る道ですが、地肌は剥き出し、夏は乾燥して土埃は激しく立ち上り、冬は凍結してチェーンタイヤが欠かせない道路(酷道)でした。
 そんな道を舗装したいのですが、都市部の道路よりも高くつく上、使う住人が二桁程少ないです。さて、この場合だと作った方が正しいのでしょうか?其れと も作らないのが正しいのでしょうか?

 答えはしてもしなくても、どちらでも正解だと思います。
 舗装したとしても都会の方から「どうしてそんな無駄をするのか?」と責められでしょうし、しなかったとすれば地元の方が「都会ではされているのにどうし てウチはしないのか?」と責められるだけです。

 私の無責任な結論に腹が立った方には謝罪致します。まぁ話の前置きですので、どうかそのままお読み下さい。

 道路一本整備するにしろ、立場によって人の意識は変わります。以上のケースだと、“都市共同体”と“地方共同体”の意見が対立した、と。
(勿論都市で賛成する方も居るでしょうし、地方で反対される方も居るでしょう)

 どちらも正論であるが故に、またある種の利己主義(社会ではなく、自身や其の共同体優先の思考)でもあります。ですから容易に結論を出してはいけない ――ん、でしょうが、生憎とそうも行きません。
 私達は現実に生きている以上、個人は兎も角政府や行政 は留まっていてはいけないからです。予算を別の所へ配分するのか、其れとも工事を始めるのか、早急に決めなればいけません。
 何故ならば経済学者や政治学者と違い、政治が停滞すれ ばする程、遅れた分だけ経済や雇用、場合によっては国際状況へ影響を与えるからです。
(震災後一年三ヶ月が経過しているのに、復興そっちのけでTPPや消費税にかかりっきりのせいで、遅々として復興が進んでいない現実を踏まえての感想で す)


 さて、では過去約三 年間を除く日本という国家はどうしてきたかと言えば、道路を造ってきました。地方だろうが、都市部だろうが国民の声に平等に応えるという形 です。
(そして其れは諸外国でも大抵はそうでしょうけど)
 結果として交通量に 比例しない大がかりな地方道路が整備され、其れが“公共工事悪玉論”なる、長らく日本をデフレへと貶める、彼らマスコミやジャーナリストが大好きな“安易 な結論”を提供する一端を担ってしまいました。
 彼らが出した結論とは、都市の地方の人間の意見が対立した際、都市部の意見だけを尊重するものでした。地方の人間にとっては必要だったのに、どうして切 り捨てたのか、と言えば自身や多くの記者は都市部に住みで高いインフラに囲まれている上、読者数が都市の方が多い、程度の認識しかなかったのでしょう。
 世論を誘導して価値観を形成にする事により、代議士達も民意へ反映させ、徐々に地方の体力は失われていきました。

 地方の公共事業についての善悪は置いておくとして、現実の話を一つしましょう。
 震災以 前、または震災後に生活インフラを運搬したのは、道路です。
 また地方へ企 業が進出出来るのも、道路を初めとするインフラ設備が整っていたからです。
 もしも日本人が、もっと酷な言い方をすれば、

「も しも過去半世紀の日本国民が、現代のマスコミの言い分である“人口に見合った公共事業”や“地方分権”等の政策を採っていた場合、東北は殆ど人が住まない 未開の地だった」
「そして湾岸整備や防波堤も無く、緊急時に避難する場所のすら確保出来ず、東日本大震災で受けた被害は今よりもずっと大きい」

でしょう。
 進出したいとしても道路が無ければ商品や人の行き来は出来ず、農作物も同じです。そして人の生産活動が無ければGDPは上がらず、税収も増えず、現在の 日本が持つ“ある程度均一な能力と価値観を持つ日本人”という資産は無かったと思います。
 百年に一度の大堤防を仕掛け した口で、1000年に一度の震災に備えなかった!……此が日本のマスコミ、しかも一流と呼ばれる方の主張なんですよ?


 震災復興ならずとも、例えば社会保障であっても、日本国民が納めた税金が自身以外に遣われたとしましょう。しかし其れを不服に思う日本人は少ないかと思 います。
(尤も程度にも因るでしょうが)
 何故ならばそう言った人間もまた日本国民であり、自身がそうなる、またはそうなってしまう可能性があるため、良しとしている、と。
 保険制度にも似ています。何事もなく過ぎれば掛け金の殆どは返って来ず、誰か第三者に遣われますが、其れ自体に文句を言う人間は少ないでしょう。

 では何故かそういった文句や非難の声が上がりにくいのかと言えば、其れは利益を得ている人間、また支えている人間が同じ日本人だからです。
 同じ価値観やほぼ横並びの道徳観を持ち、日本という運命共同体の中に生活の主体を置いており、同じ国益を追い求める――其れが日本人です。

 別に私が国粋主義者ではなく(保守よりの傾向はありますが)、そうですね、例えば……そういった共同体の中で最小単位なのは“家族”ですね。
 家族は助け合い、外敵(親が作った借金とか、ちょっとアレなお隣さんとか)には全員で力を合わせて解決しようとします。其れが何故かと言えば、家族(共 同体)の益が、全員の利益と直結するからです。
 次に大きな共同体は学校や町、ぐらいでしょうか。スポーツで全国大会へ行く部があれば、校内総出で(場合によって応援団を組んで)応援するでしょうし、 町内で清掃活動が参加します。其れはそれぞれの共同体が利益を得る事で、個々人もまた利益を得るからです。

 そんな感じに共同体の規模が大きくなり、恐らく最大と なったものが“国”です。共通の利益と呼ばれるものが“国益”です。
 出来れば“地球”としたいのでしょうが、現段階では其処へ至るのは難しいと思われます。
 現にEUという共同体が最初から盤石の意思統一が出来ていれば、信用不安問題などとっくに解決済みだったでしょうから。
(夕張市が財政破綻しても、日本の価値が揺るがなかったのと対照的に)


 時として人々や共同体の価値観は悪用されます。“当時としては其れが正しいと思って居ても、後々最悪の結果となる”場合も多々あります。
 繰り返される衆愚政治のように、民意を反映させれば全 ての問題が解決するわけでもありません。かといって社会主義が成功した国家は皆無であるため、他に妥当な政治形態など(現在の所)ありませんが。
 ではどうやってそういった“価値観”を共同体の中で高めていくのか――人類の歴史の中で最も長く使われてきたのが“宗教”でした。


 此は仮の話です。フィクションですが参考にしているためモチーフはありません。
 そうですね……トリケラトプス教?とでもしましょうか。長いのでトリ教としましょう。トリニティ的な意味合いは含まれておりません。

 トリ教はトリケラトプスを主祭神とし、幾つかの取り巻きの神も含めた多神教です。後に幾つかの宗教を取り込んでいき、ついには一神教まで至ります。
 原初の混沌の中には柱が無数に立っていて、初めて倒れた三つの柱がトリケラトプスに、次に倒れた柱がヘラクレスオオカブトムシになった、と。
 教えは……まぁ「人生尖ってみよう?」的な感じで。
 宗祖は人生に疲れた大工の息子が童貞をこじらせた(※フィクションです)挙げ句、動物相手に愚痴っていたのを目撃され(※フィクションです)て、ごまか すため始めたとします。


 宗教では「為政者が自信の権威を高めるために、宗教を利用した」と言われる事があります。
 一番多いのは自身の血統や履歴に取り込んでしまい、信 仰の対象として入る事、ですね。もしくは政治的に便宜を計る事で、有力な指導者から支持を受けます。
 宗教者が政治へ口を出すのは、日本だと(憲法で政治と宗教の関係を否定しているため)良く聞かれませんが、海外では珍しくもありません。というか宗教指 導者が政治家を兼ねている、と言った方が正しいです。

 他にも為政者側が利用する例として挙げられるのは、“価 値観の統一”ですね。
 トリ教では牛のレバ刺しを禁止しています。教義の中でそう言い伝えられています。
 では何故教義の中へ含まれているかと言えば、トリ教が成立した前後、牛レバ刺しを食べた人間が次々とお腹を下すという事件が発生したためです。まぁ罰が 当たったと思いこんだ、と。
 そうしてトリ教が広まるに連れ、牛のレバ刺しを食べる習慣は廃れていき、お腹を下す人間は激減しました。同じ宗教の価値観を共有する事で、正しい知識が 広まって良かったですね――で、話が終われば美談だったのですが。

 真面目な話、某宗教で牛食禁止されているのは衛生面での問題があり、また別の宗教で豚食が禁止されているのは「穀物を食べる=肥沃な土地でしか飼えな い」という縛りがあったという説もあります。
 元々は生活の知恵や厳しい環境を生き抜いてきた経験則が教義として遵守されるようになっていきました。其れは当時としては必要だったのであり、現在も否 定するつもりはありません。
(「クジラを殺すジャップを殺せ!」という宗教や環境保護などに名を借りた差別は、絶対に許しませんが)

 何を勘違いしたでしょうか、またトリ教がそうであったのでしょうか、いやそもそも信仰している人間がそうであったのでしょうか。
 其の答えは誰にも分からないまま、トリ教と其の信徒達は“魔女狩り”や“大航海時代”と呼ばれる、血と脂、少なからず白粉の香りがする行為を繰り返して きました。
 教典には「貴方の隣人を愛せよ」とも書かれていたのですが、割と植民し、奴隷を運び、民族浄化にも躊躇いはありませんでしたし、また宗教指導者側も肯定 していました。
(植民地側でも改宗と布教していましたし、宣教師として先遣隊の役割を果たしていました)

 何故かと言えばトリ教にとっては、というか少なくとも 当時のトリ教の価値観で言えば、隣人とは同じ民族の同じ国民を指す言葉であり、人類では無かった、だけの話です。
(トリ教分派に至っては「黒人は人ではない」と書いていた過去もあるぐらいです)
 また何か強烈な行為を不特定多数の人間が同調して行う 事で、代替わりしている間に起こる、信仰の弛みと言ったものを引き締める作用があったのかも知れません。わざわざ外敵を創り出し、国民総出で対処する事で 連帯感や価値観の統一を謀る、と言った具合に。
(魔女狩りに至ってはトリ教“以外”の信仰を淘汰し、唯一の価値観を伝播させる、という意味合いも含まれていた、というか其方がメインだったのかも)

 と、まぁそんな感じで国民の価値観、共同体の価値観が 宗教によって大きく左右されて来ました。此もまたある意味何処かの社会正義を気取る方々と同じで、其の場其の場で教義を(主 に指導者の利益になるよう)ねじ曲げ、世論を構築して行った結果だと思います。
(原始キリス――じゃなかった、トリ教はパリサイ派の厳しい戒律主義に対抗し、マグダリアとベツレヘムのマリア――じゃない、花子さん?といった女性の参 加も認めているのに、開祖が死した後には同じグノーシス派が謳った女性参加を非難しています。割と矛盾している気がします)


 第二次世界大戦後、冷戦が終わった頃からトリ教圏では人類平和、所謂人権意識が肥大していきました。旧植民地への償いという意味もあったのかも知れませ ん。兎に角彼らが国益のために仕掛けていた植民地政策を断念したのは間違いありません。
(新自由主義の元で植民地依存の経済モデルが否定され、大戦時に世論が右へ傾きすぎた反動とも解釈出来ます)

 彼らは移民を積極的に受け入れます。
 其の前後にトリニティ連合という統一通貨を用いた経済圏を構築する事により、連合圏内での経済連携を密にしようとしていました。
 私なりの解釈ですが、“トリ連合”という名の、ある種 国家に似た共同体を形成する事により、価値観の統一・共通化を計ろうとしたのでないでしょうか?同じ宗派の人間が居る、という事を前提にあ るので、然程難度は高くない――と判断されたのでしょう。
(本音は隣町と合併して隣県にある町と張り合おう、でしょうか。多文化主義も掲げていたので、本気で新しい共同体を創ろうとしていたのかも知れません)
 もっと単純に自国の国民の数を引き上げ、国力を高めようとした、が正解なのでしょう。

 其のまま数十年も続けていれば成された可能性もあります。ですが現実はトリ連のヘリニック共和国から生じた信用不安に対し、各国が協調して当たらねばな らないのに、お互いがお互いに責任と負担のなすりつけ合いになっています。
 トリ連の利益からすればさっさと解決した方が良いのでしょうが、各国の国益とすれば「自分は払わずに余所に押しつける(じゃないと国民に支持されてな い)」が最善のやり方だからです。
(そして率先して解決に取り組んでいたサルコジ氏が落選されました)

 そして人権の方でも問題が生じます。移民が大量に押し 寄せ、帰化なり難民申請をします。一人許されると家族を呼び、家族が親戚を呼び――と言った具合に増えていきます。

 また移民はトリ連に居た人間の雇用を奪いま す。合法・違法問わずに彼らは安い賃金で働き、結果現地の人間の雇用が失われます。まぁまだ此所までは自由競争がどうの、で我慢できるかも知れません。
 しかし彼らは得た収入の殆どをトリ連国内で遣わず、母 国に居る家族のために仕送りをします。よって本来圏内で遣われる筈だった経済が減り、不景気に拍車を かけていきます。

 最も厄介なのは社会保証でしょうか。移民は子供が多い反面、所得が低いです。
(そもそも母国で成功していれば移民する必要性がありません。よって率先して国を出るのは……ですね)
 低所得であれば補助金や生活保護の受給が容易となり、 また子供を無償で学校へ行かせる事が出来ます。すると移民の子供達が多数派になり、現地の子供達は少数派――まぁ多くは書きませんが、読ん でいる方の想像通りの事が起きています。
 加えて2007年のリーマンショック以来続く不景気により、トリ連(※ごめんなさい、もう面倒なので以下“EU”と書きます)の経済もまた疲弊していま す。日本もそうであるように社会的弱者、所謂低所得者層への保証や税の還付を中心とした政策が採られます。

 政策としては至極妥当です。資産を持つ方はある程度切り詰めれば食べていけますが、そうでない方は苦しいでしょう。よって低所得者を優先して助ける―― まぁ一見妥当且つ人道的に見えますが、其れは其れでまた問題を孕んでいます。
 低所得者とは当然、移民も含まれるからです。僅かな資 産と大勢の親族を抱えた彼らは、紛れもなく社会的弱者であり、そう言った救済政策の対象です――尤も、其れの原資となっているのは、EUそれぞれの国民が納めた税金な のですが。
(ちなみに需要不足で苦しんでいる時には、需要を増やして雇用を確保するのが正解です)

 何故そう言った負の連鎖 が止まらないのかと言えば――彼ら移民はEUという共同体の“外”の人間であり、EU圏の人間とは価値観が異なっているからです。
 最悪EUの社会保証 が潰れようが、年金が破綻しようが、国民が困窮しようが、彼らは最悪、自国へ帰れば良いだけの話あり、EUがどうなろうと知った事ではない、 と。
 モラルも 低く、守るべきもの(社会的立場や資産)が無いため、容易に犯罪へと走る――とまぁ狙ったかのように悪い連鎖が起きています。以前はある程 度の思想的な軌道修正は可能だったのですが、原因が「自身の共同体の外の人間(で、しかも価値観が違う)」ため、決め手に欠ける状態に陥っています。

 よく日本の新聞で「欧州では移民へ対するヘイトスピー チとクライム(人種差別的な言動と犯罪)が増えているが、其れは現実逃避や八つ当たり(か、嫉妬)だ」という言論があります。
 否定はしません。一人か二人の人間からアンケートを取ったのであれば、彼らにとっての真実なのでしょう。

 ですが、此所で少し考えて見ましょう。
 日本の新聞は海外の新聞の引用を好みます。此は『海外 でも自社と同じ考えをしている!』という権威付け、またはミスリードのために行う事が殆どです。彼らが英語を理解出来ず、紙面全てへ目を通 さないだけの可能性もありますが。
 では移民関係の問題について、海外の新聞の引用をした 事があったでしょうか?当事者である彼らは一体どんな考えなのか、何故か日本の新聞では取り上げませんね?
(蚊帳の外から移民は大事、移民は大切、文化共生とか、綺麗事を言っているだけです)


スイス、外国人犯罪者を追放へ 生活保護の不正受給も対象
http://www.afpbb.com/article/politics/2776977/6517971
 スイスで28日、特定の犯罪をおか した外国人を自動的に国外追放する法改正の是非を問う国民投票が行われ、賛成52.9%で承認された。反対は47.1%だった。
 特に、スイス人口の大半を占めるドイツ系住 民の賛成票が多く、全26州のうち否決はわずか6州だった。
 今回の国民投票は 極右政党「スイス国民党(Swiss People's Party、SVP)」が主導したもの。現行法では、有罪となった外国人に対しては判事の個別判断で国外追放処分とすることができたが、改正新法では、特 定の犯罪で有罪判決を受けた外国人は自動的に国外追放となる。
 対象となる犯罪行為には、強姦、深刻な性犯 罪、強盗などの暴力行為、麻薬密輸のほか、生活保護 の不正受給も含まれる。


 二十年前まで見向きもされなかった右派政党が議席を獲得、支持を伸ばし、移民を是とする政党へ大規模なテロが行われました。
 勿論テロはどんな正論であろうと、暴力行為に出た時点で正当性や信頼をスポイルしてしまいます――が、問題なのはノル ウェーで起こったテロ以降も、移民排除の政策が採られている事です。

 詳しくは後日取り上げますが、日本のマ スコミが何と仰ろうとも、というか極東の地でマスコミが何を叫ぼうとも現実は変わりませんよ?


 さて長々と書き綴ってきましたが(此所まで読んで下さる方がいらっしゃるのか、甚だ不安ではあります)、論点をまとめてみましょう。

 EUという共同体を蝕んでいる病は二つあります。

1.ユーロ(共通通貨のシステム、セルフ連環 の計)
2.移民(現地人の社会保証と雇用を奪いつつ 治安も悪くする)

 どちらも価値観――前者は『EU圏内は同胞であり運命 共同体、よって助けるのも当然である』という価値観が乏しいために起きました。
 後者は『移民は帰る故郷を持ち、そもそも国も宗教も常 識も違う、本来であるならばEUというシステムに組み込まれるべきで無かった』という認識が不足しています。

 EUは“現実的な対処=国と機関へ公的資金を注入する”と対策を採っていますが、捗っては居ません。手段としては最適であるにも関わらず、「どうして他 国のために自国の税金が遣われるんだ!」という言論が目立ち初め、資金を受ける側のギリシャも再選挙という危機意識の無さが露呈しています。
(其の様子を見たEUの資金提供する側が眉を顰める悪循環)

 移民へ対しては規制したり、本国へ送り返したりする運 動が活発になっています。日本のマスコミの方々は幾ら日本でネット右翼だの、右傾化する社会だとの言った所で止むわけもありませんし、解決 もしません。
 むしろある日当然、スウェーデンのデロや保守政党の台頭などが広まり、「日本のマスコミは今まで一体何を報道していたんだ?」と読者や視聴者に疑問を持 たれるのが精々でしょう。
 日本のマスコミが掲げてきた“東アジア共同体”なる鵺のような代物があります。意図はどうあれ事ある毎に「日本は移民を受け入れろ!EUを見習え!」と 声高に主張し続けてきました。
(安易な結論へ飛びついただけなのか、資金が入っているのかは存じませんが)


 一応断っておきますが、私は車道で転んでいる方が居れば手を伸ばします。場合によっては手を引いたまま、ちょっと座れる場所まで移動し、時間があれば病 院へ連れて行く程度には他者へ対して寛容です(肌の色や目の色関係なく、です)。
 当然友愛や隣人愛を謳ってらっしゃる(方が多い筈の)EUならば、私と似たような行動をする方も多いかと存じますが――もしも私が仕事を失って失業し、 移民の増加によって社会保証のために増税が決まり、低所得者のための生活保護の手当が入った封筒を、明らかに同国人ではない顔立ちをした方が握りしめてい たら……言わぬが華、という言葉も御座いますね。

 まぁ其程心配はしていません。EUのような大きな組織が、今更価値観の共有等は余程のものでない限りは不可能でしょうから――例えば、不正な移民を徹底 的に排除するとか、嘗てあった魔女狩りの再来をしようとはならない、筈です。


 ……冗談だったのであれば、どれだけ気が楽でしょう。しかし此が現実なのです。


 私は日本に於いても移民反対の立場を取っています。
 全てを無くせ、というのではなく帰化や選挙権、また日本の文化に馴染めるかどうか(最低でも読み書きは出来る)の一定の試験を課すべきだと思います。
 しかと同時に帰るべき故郷があれば、其処で穏やかに過ごして欲しいというのも思いもあります。

 例えばスイス辺りへ移民すれば手厚い社会保証が約束されていました。原資は主に先に住んでいた方なんでしょうが、多くの移民が我先にと移住していきま す。
 現在は良いのでしょうがいつかは破綻します。其れがどんな形になるのか想像出来ません。EU圏が財政破綻するのか、現地人の排他感情が高まるのか、二択 ではありますが。
  そして移民は本国へ戻るのでしょうが、残された移民(や帰化人)は現地人から白眼視され、彼らがそう言った無責任な行動(安易な社会保証の受給や、危なく なったらさっさと母国へ帰る行為)をしたため、まともな社会活動をしている人間まで、穿った目で見られてしまう事でしょう。
 ……もしも、最初から移民を受け入れていなければ(少なくとも大々的に)、誰も損をしなかったのではないか、とも考えます。


 移民は貧困や思想(宗教)的弾圧によって生まれます。 特に移住出来る層であれば貧困が原因でしょう。
 とすればEU圏は無分別に移民を受けて入れるのではな く、移民が発生しやすい国へODAや技術援助をし、其の国内を発展させるべきであった、と断言致します。そうすれば現地での景気が上向きに なり、移民が本来住んでいた国でも雇用が増え、税収も多くなり、弱者への社会保証が充実します。
 しかし彼らEU圏が其れを怠ってきたのか、と言えば、其れもまた自身(EU圏)の利益を優先した結果とも言えます。他国の国益になるような事をせずとも、自国へ移民を受け入れ、自国 の国民として扱った方が人口や国力も増える――と、また自国優先の政策を採りづけたツケなのでしょう。

 ちなみに奇 しくも彼らとは相反するかのように、土下座外交だの紐付き支援だと言われていた国家があります。
 東アジアを中心にODAを増やし(しかし日本の企業が受注 し、現地の企業と共に施行する事で緩やかな技術移転が計かられ)、場当たり的な食料援助はせずに、インフラ整備へ費やした結果、多くは産業的に成功を果た して います。

(経 済が豊かになる事で政治的な安定も保てています)

 また移民流入という観点からすれば、隣国にGDP世界二位にして途上国を称する国があります。大戦後其の国は独裁国家であり、独裁者の無能(例えばスズ メの駆除を優先し害虫を大量発生させた挙げ句、餓死者を出したり、内部抗争で数千万人を殺したり)によって多くの移民が発生する可能性がありました。下手 をすれば億単位が周辺国へと雪崩れ込みます。
 しかしそうした国へ援助 をし、発展させる事により移民を食い止めました――と、まぁあくまでも私の想像、後付けであり、結果的にそうなっただけ、というのも否定致 しません。
(正確にはゆりりん氏という方の推論です)
 兎に角日本の政策によって多くの国の人間が移民にならず、自国で自国を支えるために労働が出来る環境を整えられたのです。
 “自国の 利益を優先した国”と“他国の利益を優先した国”で明暗が分かれてしまいましたが、ある意味自業自得でしょう。


 ちなみに移民の類義語として植民という言葉があります。移民が個人の意志で移住したのに対し、植民とは国家の意思を受けて移住する事を指します。
 其れ自体は善でも悪でもないのですが、過去の事例を鑑みると植民の多くは現地民よりも特権を持っていました。武力により現地政府を脅したのか、其れとも 既に本国の植民地となっているのか、まぁ真っ当な手段では無いのでしょう。
(当時の価値観で許され、国際法上では合法だったのですが)

 其の国の名を中国と言うのですが――長くなってしまいましたので、今回はこの辺で。長々とお付き合い頂き有り難う御座いました。




 余談ですが個人的に面白いと思ったのは、EU崩壊(は、まだしていませんか)の引き金を引いたのが、東方教会系(別名正教会、ロシアやルーマニア等の教 会を軸とするキリスト教会派)の強い影響を受けるギリシャだった、という点です。
 EU成立時点で既に異分子――価値観を共有出来ない異分子が組み込まれていたのですから、崩壊は必然だったのかも知れません。
 ある種、彼らはEUに存在する”異端”、置き換えれば”元から其処へ済む移民”と考えれば、現在の無責任さにも納得が行く――かも、しれません。
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