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日 本に於けるヘイトスピーチの実例と実害 〜流言飛語とヘイトスピーチ8〜

 『俺は差別と○○○○が大嫌いだ』

 上の台詞はブラックジョークの一つとして語られています。○○○○の部分には人種や国籍、時には宗教が入ります。
 発言者が「何の根拠も無しに他者を嫌う行為=差別」 を”嫌い”だと言った其の口で、直ぐさま「何の根拠を出す事もなく○○○○が嫌い=差別」と言う矛盾を笑う――嗤うという主旨のものです。

 ネットウヨクを糾弾される方は「嫌いだ」と主張しています。其れ自体は構いません。程度の差こそあれ、好きか嫌いかを自身で表明するのは自由です。
 またネットウヨクと呼ばれている個人・団体が居ないか、または少なくとも差別主義者どうこうというイメージとはかけ離れている事は、何となく賛同して頂 けるのではないかと思います。
 其の上で一つの選択肢が浮かび上がります。

『ネッ トウヨクが架空の存在であるならば被害者は誰も居ないし、良いんじゃないか?』

 しかし恐らく其れでは、遅い。
 過去の日本で実際に起こったヘイトスピーチを例に見てみましょう。


 ”サンカ”と呼ばれる存在をご存じでしょうか?
 一応社会科学(民俗学)の用語であるのですが、一時期”被差別集団・共同体”という意味を有していため、あまり公の場では使いにくい言葉となっていま す。
(※以下、基本的に五木寛之氏の「サンカの民と被差別の世界」より引用しています)
 民俗学者の柳田国男氏は彼らをこう評しています。


 サンカは外部の圧迫無き限りは、大抵夏冬の 二季にのみ規則正しき移動を為し、其の他は成るべく小屋を変えざるに似たり。
 夏は即ち北方または山の方に、冬は之に反し 南方または海の方に近づき気候に適応すること候鳥(渡り鳥)と同じ。
(以上引用終了)


 所謂”漂泊の民(定住せずに移動しながら生活する集 団)”として見ているようです。柳田氏が提唱している山人(山中で暮らし、常民とは異なる生活様式を持つ集団)の一形態としても捉えていま す。
 場所によって文化が異なるように、日本の郷土文化の一つとして歴史には残される”べき”でした。
(※中には彼らが南方のルーツを持ち、日本民族とは違うと主張される方も居ますが)
 しかし残念な事に2012年の日本に於いて、彼らの子 孫や末裔を名乗る団体は(公式には)皆無です。また生活様式を詳しく残した資料もありません。何故でしょうか?


 昭和初期、説教強盗のニュースが日本を揺るがしました。犯人は押し入った後、「犬を飼いなさい」「街灯をつけた方がいい」等と説教をした上、逃げおおせ るという手口です。
 警察関係 者の間では「あれはサンカの仕業ではないのか?」と囁かれていたのを、当時朝日新聞の記者であった三角寛氏が耳にします。
 説教強盗自 体は3年後に逮捕され無期懲役の判決が下されました。また犯人もサンカとは全く関わりの無い人物であったと判明します。
 三角氏は 朝日新聞を退社、小説家へと職を転じます。そして昭和4年から16年までの間に雑紙等で200編以上の小説が載せられました。
 彼の一連の作 品群はこう言われています――山窩(サンカ)小説、と。

 具体的な内容については避けます。三角氏が”小説家”である上、戦後一応とはいえ謝罪とも取れなくもない意思を表明しているため触れません。
 兎に角彼が小説を書き、また大ヒットしたため、当時”サンカもの”と呼ばれるジャンルが出来る程に人気を博しました。
 では其の元となった警察内部ではどんな捉え方をしていたのでしょうか。


 明治8(1875)年の『松江市誌』、邏卒 (警察官)の文章より引用。

 サンカは出雲、伯耆、石見三国の深山幽谷を拠点とする無籍の乞食であり、賭博や窃盗などの悪行を重ねている。しかも捕らえられても直ぐに放免されるの で、あちこちに出没してまるで蠅のようだ。県民で被害を受けた者の十中八九はサンカの仕業だ。
(以上引用終了)


 ちなみに説教強盗の下りでもありましたが、全て事実 無根です。五木氏は「警察官は彼らを取り締まるためにも、もっと警察官の数を増員しろと言いたかったのではないか」と指摘しています。
 また三角氏より も早く鷹野弥三郎氏(時事新報社)が大正末期に「山窩の生活」という本を書いています。警察に取材して得たネタを元に書かれてあり、サンカは異常性欲者で あるので野放しにせず取り締まって絶滅すべし、という内容でした。
 簡単にまとめれば警察内部 では定住しない生活様式を持っていた”と、される”集団をサンカと呼び、嫌っていた。三角氏や鷹野氏のような警察と関わりの深い方が、スラングを鵜呑みに し(またはより酷く解釈し)根拠も情報源も皆無か曖昧なままに、サンカという非存在の犯罪者集団を作り上げた、と。

 ただし当時の(日本だけではなく)政治的な背景からす れば、国内で定住せずに移動する生活様式が疎まれてきた側面もあります。
 治安だけでなく定住民が果たしている納税と労働の義務、もっと単純に定住しないと安定した生産活動を得られないという思想の元、ロマやジプシー等を定住 させる政策が採られてきました。
 尤も同化政策の元に彼らの子供を一般家庭へ強制的に編 入させる、といった人種・人権を全く無視するような政策がソ連や東欧、スイスでも70年代まで行われていたのも事実ですが(また同年代には 優生学に基づき精神障害者は強制断種されていました。そんな国を”人権大国”と持ち上げる国が極東にあるとか無いとか)。

 戦後、沖浦和光氏が改めて彼らへ対する研究を始めました。取材中の出来事です。


 生活様式からなにから見ても、これはサンカ に間違いないと思った沖浦氏は、その聞き書きをした人を探して訪ねた。そして「これはサンカじゃないですか」と尋ねたが、相手は全く返事をしない。「サン カ」という言葉を使いたくないのだ、と沖浦氏は察した。
 しかし二時間以上あれこれ話している内に、 ついにその聞き取りをした男性自身が自分はサンカの末裔だということを認めたのだった。
(以上引用終了)


 取り返しますが現代の日本に公然とサンカと名乗るという集団はいません。また過去に於いても(人々がそう語り継ぐ以外で)いたかどうかも判明していませ ん。
 事実は”サンカ に類する移動しながら生活した集団がいたが、作り上げられたイメージによって彼らが名乗り出る事はなく、また存在も無かった事にされた”で しょうか。
 付け加えるのであれば”そんな 偏見や差別用語を作り上げ、広げたのは新聞記者、報道したのはマスコミ、しかも現在へ至るまで訂正報道は為されていない”のです。


 極めて個人的な見解ですが、真面目に保存活動なり、きちんとした調査を加えた上で周知さえしていれば、彼等の文化や伝統が無形民俗文化財として登録さ れ、世界へ対して民俗史の一つとして発信出来ていた可能性が極めて高い、という事です。
 場合によっては白川郷や八尾のおわら風の盆のような、民俗的な価値を保ったまま恒久的に人気を博す(結果として地元や周辺自治体が恒久的に富を得られ る)コンテンツになった可能性も否定出来ません。
(漂泊する民は例外なく芸能に長じているため)
 ロマやイャニシェは言うに及ばず、日本を代表する芸能の一つである猿楽や其所から派生した歌舞伎や人形廻しが発生しています。
 例えば地方へ行っても里神楽や舞台を作って舞う行事が成されていますが――一体”誰”が広めていったのか、と疑問に思わないでしょうか?ネットもなく、 政権によっては移動の自由すらなかった時代に。

 また今は極めて数が少なくなってしまいましたが、正月には門付け(かどづけ)芸という神事が各家々で行われていました。
 門前で招いた猿回しをさせたり、言祝ぎ(ことほぎ)唄を奏でたりとするものです。獅子舞もそういった門前で行われる芸能の一種です。
 家々を回って芸能を売る(※言い方が適切ではないかも知れませんが、等価交換であったという意味だと思って下さい)人間もまた、漂泊して生計を立てる人 達でした。
 特に養蚕業が盛んになってから猿による厩(うまや)の祝福が、正月と言わず頻繁に行われてきました。どうして馬や猿が蚕と関係あるのかと疑問にお思いの 方は、”オシラサマ・弼馬温(ひつばおん)”でお調べ下さい(非常に長くなるため割愛します)。

 しかし失われた部分があります。現在分かっている事実だけでは埋められない空白とでも呼ぶべきでしょうか。
 例えば半世紀前、冬になると東北の太平洋側の集落へ篭や箒を売って歩き、請われれば芸能を見せた人々が居ます。彼らのルーツを辿っていけば雪深い地に住 む農民や職人の方が出稼ぎで来ている、という事実に行き当たります。
 また同地域では正月になると”笠を被った稀人”を招いて春を祝う、という郷土芸能が残っています。今では執り行うのも地元の人間で済ませていますが、 きっと過去に勤めていたのは雪深い所に住んでいた方々――では、ありません。
 住民の移動の自由が認められたのは比較的近代、精々明治以後です。また現代と違ってろくに街道整備も為されていない時代、わざわざ冬季に出稼ぎする必要 性が皆無なのです。農民や狩人が雪の積もった山や街道を、長距離移動出来るとは思えません。

 しかし祭りの伝統は少なく見積もっても数百年。では一体”誰”が祭祀を執り行ってきたのでしょうか?
 実は似たような話が全国各地に点在しています。共同体の外から神を招き入れ、歓待をし、お帰り頂いて一年の安全を願う、といった流れが多いのですが、実 際に神仏やら悪鬼が居たとは考えていません。

 柳田氏が唱えた論では”山人”が、弟子である折口信夫氏は”マレビト”が。どちらが正しいのか、また間違っているのか(膨大な数の郷土芸能がたった一つ か二つの答えで埋まるとも思えませんが)は判断しかねます。ですが両氏共に仰っているのは、

「現 代では失われてしまっているが、常民とは違う生活形態を持っていた人々が、山や河や海に居たのではないか」

と言う事です。


 前置きが長くなってしまいましたが、では漂泊する民が消えた理由とは何でしょうか?……色々今更かも知れませんが。

 日本に於 けるヘイトスピーチの最大の実害として”類する文化・思想(民俗)の消失”が挙げられます。具体的には漂泊(移動)しながら生活する集団の 文化が失われてしまいました。
 理由は簡単です。
 もし「私 達は○○という文化を持っていた」等と言い出そうものならば、「山窩だ!」と虚構の犯罪者集団のレッテルを貼られてしまうためです。
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