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TPP 考証 〜農村に於ける現実〜

 またぞろTPPが問題になってきています。維新の会の八策概要(というか地域政党として議席を取っているのだから、暫定版ばかり公開しないで、きちんと決めた方が良いと思いますが)にも含まれ、民主党の次回選挙公約にも含まれるようです。
 民主党が公約を破って可決した消費税法案を外す辺り、彼らは本当に其の場其の場で出鱈目な事しか言わないだな、と確信を強くしましたが。

 さて、今日はTPPのお話です。具体的なデータ云々はさておき、概念論のお話です。

 私の住んでいる県は農業が盛んです。まぁ言ってしまえば都会ではなく、また都市部近郊でもないため、其れ以外に誇れる物はない、と言い換えても構わないでしょう。卑下しているのではなく、現状分析するのに感情論は可能な限り挟むべきではありません。
 TPPとは例外となる品目を除き、原則全てが自由化されます。農業もそうですね。
(他にも毒素条項と呼ばれる不平等な物も含まれています)


 よくこんなフレーズを耳にします。貴方も聞いた事があるかと存じます。

『農家には多大な税金が投入されている!優遇されている!』

 事実ですね。個別保証金を筆頭に税金が遣われています。しかしよく考えて見て下さい。

『では優遇されている“筈”の農業が、どうして後継者不足で悩んでいるのか?』

 まぁ答えから先に言ってしまえば、一般の方が思っているよりもハードな仕事だからですね。
 農家に転職して失敗された方の中には、田舎の閉塞性とローカルルールに辟易した、という声も多いようです。
 ただし農家を間近に見てきた人間から言わせて頂けるならば、其れは甘い考えです。

 どんな職場でも信用を得るまで、また人間関係を構築するまでは時間が掛かる――の、ではなく、“連帯性”にあるでしょう。

 例えばベランダーに置いてあるプランターで育てている野菜がありました。ある日其れが元気なく萎れていました。調べてみるとナス科に罹る病気のようです。こうなっては仕方がないので、野菜を捨て、土も変える事にしました。
 まぁ家庭菜園であれば此の程度で済みますね。残念ですが別に其れだけを糧にしている方は少ないでしょう。

 では少し場所を変えてみましょう。田舎町に行った事ある方は記憶を辿って、無い方は想像して下さい。
 遠くの方に青々とした山があり、麓には民家らしきものがある。自分達が居る道路以外は全て水田か畑――という、田舎であれば何処にでもありそうな風景です。

 で、です。
 水田を造るには条件があります。下地が粘土質、用水路から水を引き込みやすい(=川からあまり離れていない)所が適しています。
 なんと言っても用水路や農業用水を個人で引くのは費用の面で難しい。よって自治体なり複数の人が大規模な利水事業計画を立て、実行に移したのが現代日本の姿です。

 都市部では人は密集して住んでいます。対しては地方、というより田舎のイメージだと広い土地と田園風景でしょうか。
 ですが実際にはそうでなく、農家の水田や畑は密集して造られている事が多いです。

 家に例えるならば、都会が狭い部屋割りのアパートに人がたくさん住んでいるとすれば、田舎は広い部屋割りのアパートに人が住んでいる、と言った所でしょうか?持っている部屋の大きさは違えども、上下左右を隣人に挟まれているのです。
(ちなみに農家であるならば自宅が職場を兼ねています)

 もしも、そんな状況で農作物に病気が流行ったとすれば――と、いうのが“農村部の連帯性”ですね。
 だから彼らは隣人へも干渉しますし、場合によっては排他的な行動もするでしょう。何故ならば彼らにとっては生活がかかっているからです。

 少し前に地方の畑を借りて農業をしようというブームが起きました。休耕田を一般の方へ貸し、農業をして貰うというものです。
(週末は地方で農業をしよう、という主旨ですね)
 まぁ時代の流れか、面倒になったのかは知れませんが、段々と借りた方は自身の田畑からは遠ざかっていきました。貸し出された畑は荒れ放題、雑草が茂ってしまいました。

 さて、此所で何が起ったのでしょうか?
 雑草――と言う名の草はありませんが――の種は風や虫・鳥などが運びます。また土壌に含まれていたりもしますし、一本生えていた雑草の地下茎が伸び、次々と芽吹きます

 まぁ“借し出していた畑を中心として、大量の雑草や虫が周囲へ散らばった”と。結果通常よりも虫害が酷く、雑草を抜く手間暇も掛かったそうです。


 他の例を上げましょう。
 無農薬野菜が流行っています。しかし此は相当に手間暇が掛かります。先に挙げた病害・虫害、雑草だけでなく、言わばある種の増幅器(ブースター)となってしまうんですね。

 将棋盤かチェス盤、オセロ(リバーシと言うべきなのでしょうか?)の盤上を農地に見立てましょう。一マス一マス、農薬で除草・除虫した場所には貨幣を置いていきましょう。









 全て埋まれば作業完了。暫くの間は何もせず済むでしょう。
(同時並行して全ての農地や果樹の作業しなければいけないため、とても楽なものではありませんが)

 さて何処かに無農薬の畑を作るとしましょう。真ん中の貨幣を取り除きます。









 すると当然農薬で抑えていた雑草・虫、下手をすれば病気までもが発生する可能性があります。
 其れが周囲へ広まるのも大変ですが……まあ仮にそうなったとしても“自己責任”です。そう言う野菜を作ろうとしたのも、病気が起った(そして見過ごした)のも自分。諦めはつかないでしょうが、ある程度の覚悟はあるのでしょう。

 ですが現実の世界はもっと複雑です。盤上全てが自身の土地とは限りませんし、他の盤面と接しているかも知れません。では全てのマスほ貨幣を置いた貴方の土地、其の隣に何も置かれていない盤を置いてみましょう。





 現実の例で言えば隣家が無農薬野菜を作ろうとしている……病害や虫害のリスクは跳ね上がり、更には雑草の種が跳んでくるような環境です。


 ……TPPの話から相当逸れた感がしますが、まぁ“地方の排他性は、他者を嫌っているのではなく、事が起きれば全体へ影響を及ぼしてしまいかねないから”と理解して頂ければ幸いです。
 勿論現代の人付き合いとして、また時には倫理観に照らし合わせても改善しなければいけないのでしょうが、そう言った共助が無ければ生き残ってこられなかった、の裏返しでもあります。

 何と申しましょうか、“都会には都会に住む方の生き方があり、地方は地方に住む方の生き方がある。現実を知らすに理想論だけで語るのは間違いを招く”と。
 特に補助金が出ているからと言って、非効率だ・不公平だ、と仰る方も居るでしょう。確かに其れは“公平”ではないかも知れません。
 ですが、だからといって“特別”でもありません。其程優遇されて居るのであれば、農家はもっと繁栄しているでしょう?後継者が居ないのは、職が、環境が厳しいからではないでしょうか。

 よく台風や大雨で河川が氾濫する、またしそうな際に『水門の様子を見に行かれた方が、戻って来なくなる』という事故が起きます。恐らく事情を知らない方は嗤うか、其の方の無知、または判断能力の無さを嘆くのでしょうか。
 稲が穂をつけると頭を垂れるように下がります。有名な歌でもありましたね。しかし農家の方は危険だと判断します。
 稲穂が長時間水に浸かると発芽します。そうなってしまえば出荷は出来ません。半年間の苦労は無に帰します。また風で茎が倒れれば、より危険性は高まります。
 対処療法としては、水田や用水にある水門を開き、流れ込む水の量を減らす事により、何とか防げる“場合も”あります。殆どは焼け石に水で終わりますが。

 私は彼らが“農”へ対して愛情を持っているか、はたまた憎しみを持っているのか、其れは分かりません。人の感情とは本人でしか知り得ない上、本人ですらも自覚しているかは分からないためです。
 ですから行動や態度から推し量る(学校の試験で『登場人物・作者の気持ちはどんなものであったか選びなさい』という設問へ対し、『登場人物・作者でも無いのに分かるわけ無いだろ!』と多くの学生が思ったように)ぐらいしか、私達は出来ません。

 以上の条件を知った上で、貴方は“農”へ対して何を思いますか?
 補助金付けにされた旧来の弊害の権化?
 文字通り命を賭けて農をする人達?

 もし宜しければ水田近くに足を運び、腰を屈めて稲穂を見て下さい。恐らく“其れ”という事実が全てを表しているでしょうから。
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