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日本の伝統文化と効率性 〜維新八策で日本が失うもの〜


 以上の写真は北茨城のあるお社の入り口を撮ったものです。
 左が二十三夜塔、右が庚申塔と言います。

 どちらも近世以前に流行した信仰、“講(こう)”の一つです。
 中国の道教に庚申待ち、という風習があります。人の体の中には三戸中という虫がおり、特定の夜になると虫達は体を抜け、人の悪行を天帝へと告げ口に行きます。
 従って特定の晩に夜更かしをし、虫が出ないように見張り、虫払いの念仏を唱えた――ん、ですが、時代を経るに連れ、其れが娯楽へ転じました。
(何故か日本で大流行したんですね。虫を“払う”信仰なので、実盛送りや虫送りとかと合習したと思われます)
 まぁ人々が集まって夜遊びをする(性的なものは含まれません)、まぁ宴会のようなものだと思って下さい。何分娯楽の少なかった時代なので、集まって騒ぐ事自体が楽しかったのでしょう。
 二十三夜塔も同じく、月齢が二十三夜の夜に集まる、という趣旨の講です。やる事も大して変わりません。

 ですが、悲しいかな信仰は明治以降廃れていきました。廃仏毀釈や近代化の影響もさる事ながら、何よりも娯楽の多様化や人と人との繋がりが薄れていったためです。
 とは言え完全に無くなった訳ではなく、ある種の道祖神(道行きと境の神)として道端や神社の門前、村の入り口“だった”所にひっそりと佇んでいます。

 信仰は強制するものではありませんし、流行り廃りも仕方がないと自分を納得させています。
(其れでもごく稀に似たような道祖神が奇麗に掃除されていたり、花が置いてあるのを見ると何故か安心しますが)


 ですが――伝統芸能を「採算が合わないから」「面白くないから」等と言って廃するのは、断固として抗議致します
 昨日に引き続き橋下市長と維新の会の話ですが、取り敢えず記事をお読み下さい。


「大阪独自の文化・文楽を守れ!」

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120510/plt1205101536008-n1.htm

 「大阪独自の文化・文楽を守れ!」−。大阪市の橋下徹市長(42)が財団法人文楽協会への助成金を削減したことについて、雑誌「上方芸能」が5月11日に発刊する最新号で、橋下氏の方針に反対する132人のメッセージを掲載することになった。

 メッセージを寄せたのは推理作家の有栖川有栖氏(53)をはじめ、作詞家のもず唱平氏(73)、ファッションデザイナーのコシノヒロコ氏(75)ら各界著名人の名前がズラリ。前市長、平松邦夫氏(63)の名前もみえる。

 発行人の文芸評論家、木津川計氏(76)は「文楽は儲からない文化で、行政の支援が不可欠。橋下氏は『公金を入れないと成り立たないのは文化ではない』と言っているが、それではすべての文化が淘汰されてしまう」と指摘した。

 橋下氏は文楽協会へ支出していた年間約5200万円の補助金を「ゼロベースで見直す」と宣言。25%の削減案とアーツカウンシルによる評価を実施することを明らかにした。

(中略)

 橋下氏は「文化団体に補助金を出すなら、コンクールで賞金を出した方がいい」と話しているが、木津川氏は「競争原理や市場原理で文化を語る橋下氏は、本当に危険だ。文楽や交響楽団のような集団芸術は、落語や歌舞伎などと同列に扱うのは間違っている」と話す。

  文楽を応援する声が続々と集まっていることに、人形遣いの三代桐竹勘十郎(59)は「若手の養成費、育成費は削ってほしくない。これまで文楽協会は、守り 育てることに重きを置いてきて、宣伝して売り出す人材がいなかったのも事実。私もお声がかかればどこへでも行って、文楽のアピールをしたい」と話している。

 文楽ファンという有栖川氏は「文楽が必要な人は必ずいる。橋下氏の文化政策は働く人間の職種を減らすもの。その結果、大阪は大きな田舎になってしまう」と話している。

(引用終了)



 異論があるとすればこんな感じでしょうか?

『公的資金(補助金)を出すべきではない。続けたいのであれば出したい人間だけが出せばいい』

 まず『日本人の文化とは公共の財産である』との認識がありません。個人が持ち合わせないのは自由ですが、“だからといって安易に文化の継承を放棄してもいいのか?”と。

 私の町でも其れなりに民俗芸能があります。勿論大阪は比べものにならなりませんし、知名度も無きに等しい状態です。
(大晦日の訪問者として、僅かに名を残しているらしいですが)
 そういった人間からすれば、郷土に広く知られる芸能があり、また根付いているのが羨ましくもあります。

 何と申しましょうか、こう、“文化”というのは“豊かさ”でもあります。豊か、というのは経済的な意味合いだけでなく、社会的な視点からも言える事です。
(尤も貧しくても生まれる文化はあるため、あくまでも発生する・派生する頻度の問題かもしれませんが)
 例えば過去文楽を生業にして食べていこうと思ったとしましょう。まぁ起源や変遷を見れば幾つかの宗教行為や信仰も絡んでいた説もあります。
(というか其の柵がないものは皆無でしょうし)
 しかし人々の“娯楽”として伝わっている以上、其の当時の人々は文楽を楽しむ“余裕・豊かさ”があったのは確実です。

 長く伝わる日本の文化を「採算が合わない」「自分には興味がない」と切り捨ててしまっても良いのでしょうか?其れとも“採算が合う・興味のある”文化が好ましいのであれば、ジャニーズやAKB、ポケモンでも無形文化財へ定めるべきでしょうか?
 私達の祖先が守り、語り、育てて来た文化を粗末に扱う事は、其れらの文化の継承者である私達が継承を放棄した事になります。

 ……まぁ、あまり言いたくないのですが、はっきり言って私は大阪にお住まいの皆さんが羨ましいです。
 私の住んでいる所、というか大抵の所では特筆すべき文化や郷土芸能の類は存在しません。
(存在しないのではなく、特に高名ではないだけです。文化自体に優劣は無いでしょうから)
 また経済的な理由や信仰の流行り廃りで、長く続いていた(と、思しき)信仰であっても、継承者が少し前に絶えていた、という事がしばしばあります。
 残っているのは僅かな石碑と更地にされた神社だけ、まぁ時代の流れと言えば其の通りなのですが。

 結局判断するのは私ではなく、私“達”です。ですので余り大それた事は言えませんが――まぁ『一度手放した文化を再興するのは不可能に近い』とだけ言っておきましょう。


 何故か橋下氏の話とはほぼ無関係になってしまいましたが、自分達の創り上げた文化を無意味・無価値・非効率と切ってしまうような人間が、果たして現在の私達の為政者として正しいのでしょうか?

 気持ちは分かります。採算が取れない、ならば切り捨てよう、という考えは正しいと思います――其れが民間であれば、ですが。

 橋下氏の政策の多くは徹底的な効率化を掲げています。ある意味尤もでありますが、「では効率的かどうかは誰が決めるのか?」という疑問があります。

 例えば維新八策に地方交付税を廃止し、消費税を其の分割り当てるとあります。確かに税収は上がるでしょう――“大都市圏だけは増え、多くの地方市町村は減額となる”でしょうね。
 また流行りの道州制も取り入れてありました。確かに自由に遣える予算は増えるでしょう――“大都市圏を内在した道州であれば”ですが。
 TPPも推進されるそうで。成程、名古屋等の都市部近郊に多い、工場地帯を持つ所は嬉しいでしょうね――“東北を筆頭に農村は消失する”でしょうが。


 今日の、言ってしまえば自民党が作り上げたシステムは、『均等に取り、均等に配る』ものでした。地方であろうが、過疎部であろうが平等に予算を組み、再配分すると。
 しかしはっきり言ってしまえば、此は“非効率”です。都市部のインフラと比べての話ですが。

 最近多い「小さな政府」や「道州制」ですか。大いに結構でしょう――ただし、内容と其の意味を詳しく理解されていれば、の話です。
 TPPでも書きましたが、『締結すれば地方の農家全てを廃業へ追い込む』、つまり地方部を切り捨てる政策です。
 同様に地方交付税は“均等”に振り分けられています。勿論ある程度人口に比例していますが、其れがもし消費税に代えるとすればどうなるでしょうか?

 都市部が増えるのは考えるまでもありません。消費者が多ければ多い程、税収は増えるでしょうから。
 そして――増えた反面、地方では一体どうなるでしょうか?消費者が少なければ、当然少なくなるでしょう。
そして収入が低下した自治体は各種サービスや公共事業も減らさざるを得なくなり、地方での雇用は絶望的となり、都会へ出て行かなくてはなりません。

 道州制も同じ事です。“採算の良い(大都市を内包する道州)は遣える予算も増える。しかし採算の悪い(地方の農業以外に大した産業を持たない)所は税収が減る”のです。
 待っているのは勝ち組となる大都市と其の近郊の都市、其の他の地方は全て負け組となります。
碌に公共サービスを受けられない、防災は疎か道路さえ満足に整っていない市町村が続出するでしょう。生活出来なくなった方が故郷を捨て、都会へと出稼ぎへ行きます。そしてまた税収が減り、負の連鎖が続いていきます。

 此が“効率的”な社会の未来図です。
 ずっと此のまま都市部だけが繁栄していく……訳もなく、地方部で作っていた農作物が高騰し、輸入に頼らなくてはならなくなるでしょう。
(日本人の事業者が残っていたとしても、全国各地から淘汰が進めば値を上げない理由はなくなります)
 また都市部でも地方から出稼ぎに来た、安い賃金でも働ける人材で溢れ、元からの住人の働き手は無くなります。今まで農業や地方で雇用されていた人間の数だけ、失業者が増えるのです。

 結局、民主党や橋下市長、という彼らが取り上げているマスコミの主張、“効率的”とは“現在無駄(と思われている)ものを問答無用で切り捨てる”という政策です。
 例を上げればきりがありませんが、事業仕分けが一番分かりやすいでしょうか。
(彼らは災害用の備蓄米や塩を「無駄」だと仕分けしたんですよ?)
 彼らが見ているのは“現在効率的であるか、否か”だけです。そして当然都市部に比べ、地方が効率的な所など示せる訳もありません。


 私は地方に住む人間として、一連の小さな政府や道州制、維新八策等の政策へ反対します。其れは某かの利権やら特定の政党を支持しているから、と仰る方が居るかも知れません。
 しかし私にとって現在の非効率な政策は“未来への先行投資”であると考えています


  例えば地方の国道を整備するとしましょう。一日数百台が精々の県道を新しくします。此は無駄です――ただし、“現時点で言えば”です。

 道を広げれば車の通行量が増えます。また付近の整備をすれば企業や商店、住宅等の誘致が出来ます。人口が多くなれば其れを目当てにした店が建ち、其れらへ商品を卸す業者が出来、と循環していきます。
 まぁ道を一本造っただけで、其処まで経済効果が波及するのは難しいでしょうが、兎に角何もしないままであれば繁栄はしません。幾ら土地が安いからと言って、林道しかない山奥に工場を建てる方は居ないでしょう?
 防災だってそうです。自民党は10年間で200兆円の防災を主とした公共事業を打ち出しました。例の如く、マスコミと自称政治家やジャーナリストの方が、「先祖返りだ!」等と罵っています。まぁ其れもまたある種の予定調和ですが。

 では一体どうするのでしょうか?東南海沖を震源とする大地震の可能性が指摘されている中、国民の生命を守るのは誰でしょうか?
 個人個人がどうにか出来る問題でもありません。道州制を導入されていれば大都市の其の近郊“だけ”は防災・耐震化が進むでしょう。そして其れ以外は何も出来ず、地震が来ないよう祈るぐらいでしょうか。


 文楽の話から随分飛躍した感がします。まぁどう受け取るのかは貴方次第ではありますが、大抵の物事はそうなんですが、万能の解決方法と言うものは存在しません。

 民主党の代名詞の一つである「事業仕分け」ですが、実はアレにも“インフレ対策”として有効な政策である可能性が無い訳ではない、と推測されている方も居ます。
 要は「政府の支出を減らし、加熱している市場への資金流入を抑制する」という効果なのですが、“其れはどう考えてもデフレ時には相応しくない政策”です。
 結果として「鳩山不況」という官製不況を作り出してしまいました。

 私が散々批判している小さな政府も良いと思います。ただし其れは日本のような大国には用いるべきではないでしょう。そもそも国民皆保険制度や介護保険制度、国が多くの社会保障を負担している時点で、そんな妄想を言っていけないのです。
(小さな政府を目指すのであれば、当然各種負担の割合は多くなります)

 ……なんて言いましょうか、というフレーズを何回使ったのか忘れるぐらい、日本のマスコミには想像力がありません。其れとも“わかって”やっているのかは分かりませんが。
 彼らが座を構えるのは大都市、または大都市近郊の中核都市です。雨が降っても河川は氾濫せず、電車は数分刻みでやって来ます。道路は網の目よりも細かく張り巡らされ、上下水道で悩まされる事は無いでしょう。

 彼らにとってみれば「公共事業は此以上必要ない」のでしょう。自分達の住んでいる所は此以上整備の仕様がなく、するとすれば“他の何処か”です。自分達の税金を遣われたくないのかもしれません。

 私達は“効率的”と言う言葉に囚われ、其の先、僅か数年先の未来すら見ていません。“効率的”とか“採算性”を重視されますが、其れは果たして本当に効率的なのでしょうか?

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