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ネット世論と存在しない民意 〜鳥の里で叫くコウモリ〜

 知人から聞いた話です。とある企業に勤めてらっしゃるFさんは、ある商品を売り出しました。
 当然、商品一つ出すのにも膨大な試行錯誤を続け、市場の需要を調べ、採算が取れるかどうかを徹底的に調査した上、漸く製品化へと繋がります。
(しかし時折「本当に此は売れると思って作ったのだろうか?」と言うような、得体の知れない商品が店頭に並ぶ事もあります)

 製品に需要があるのかないのか、また人気があるかどうか、其れは事前に調査し予測を立てられます。しかし“実際に其の製品を売り出すまでは、どれだけ売れるかは分からない”のもまた事実です。
 ちなみにFさんは、
「釣りの名人でもボウズ(魚が一匹も獲れない)は珍しくない」
と仰っていました。Fさんの企画にあった商品は、店頭に並んだどうかは分かりません。
(というか社外秘なので)

 とはいえ実際に商品に需要があるのかないのか、は“市場の売れ行きによって”判断されてしまいます。
 判断される、と言う言い方をしたのは、“他に人気を調べる方法が無い”からです。

 例えば各種アンケートで他の製品を、大差で引き離した商品があるとしましょう。ですが現実の売り上げは其の人気と反比例して低くあります。
 地方限定発売という訳ではなく、全国の店舗に置かれていますし、値段も特別に高くない――こうなると“アンケートが間違っているのではないか?”という結論へ達するでしょう。
(そして企業は売り上げという“現実の数字”を基準に答えを出さなくてはなりません)

 多く売れれば人気かあり、逆であれば人気が無い、そう判断するでしょう。現実にあった数字から企業は学習し、新たに売れる商品を作ろうと努力する事となります。


 さて、世論というものがあります。マスコミが好んで使う言葉です。

よ‐ろん【輿論・世論】
世間一般の人が唱える論。社会大衆に共通な意見。「―に訴える」
(広辞苑第五版より引用)

“世間一般”やら“社会大衆に共通な意見”があったとしましょう。では其れらを調べるにはどうやった良いのでしょうか?
 世論調査も方法の一つだと思います。サンプルを取って全体へ当て嵌める方法です。
 が、固定電話、しかも男女や年齢の区別無く、また調査に応じた人間“だけ”という縛りがつくため、完全に世論を反映しているとは言い難いでしょう。

 次は……となれば、住民投票でしょうか。多くの有権者(住民登録をしている方)が賛成か反対かを表明するのは画期的“かも”知れません。
 ですが法的拘束力がない上、そもそも代議制間接民主主義(代議士)を採用している日本には相応しくありません。
 また大衆主義・衆愚政治の温床となりかねない(出鱈目な事を言った政治家が当選してしまう)ため、避けるべきだと私は考えます。

 最後はやはり選挙です。各種の政治的議題へ対し、各政党・候補者が自信の答えを明確にして有権者から信を受けます。
 此の結果が現在の日本に於いて、最も世論を知る方法となるでしょう。

 つまり“世論”とは選挙を以て規範とされるべきなのです。暴論かも知れませんが、あくまでも“大勢の日本人の意志”が表明されるのは、其れ以外に方法がありません。
(企業が売り上げ以外に商品の人気を知る事が出来ないように、です)


 最近、テレビや新聞、更には週刊誌までこのような見出しを目にする事が多くなりました。

『暴走するネット世論!』
『ネット右翼と手を結ぶ○○党!』(※敢えて自粛しました)
『現実での不満の捌け口をネットへ求める若者達!』

 まぁネット右翼がどうこう、現実での不満がどうこうというのは“編集者が書き込んだ張本人でもあるまいし、個人の内心を他人が勝手に決めつけるのは差別である”という視点は今更とします。いえ、してはいけないんでしょうが、本題と外れるので。
 大抵の主旨は、
『ネットでウヨク(右翼ではなくウヨク)傾向が高まっている!大変だ!日本人は戦争を放棄したんだから、彼らと徹底的に戦わなくてはならない!』
と、矛盾した、悪く言えばネジが数本無くなってしまっている論説や社説を書き立てています。

 不思議に思いませんか?“日本の世論が保守的なものでは有り得ないと、一体誰が決めた”のでしょうか?
 誰かが貴方の悪口を言っていたとします。内容は事実とは無関係、または貴方の亡くなった祖父のした事に関してです。憤る方は多いでしょう。
 また貴方の自宅の一部を自分のものだと主張し、金属バットや猟銃を構える隣人が居ます。普通は嫌いになります。

 更に言えばマスコミのロジックとは「ネットで言われている〜」とは「ネット上では〜」と“あたかもネットの世論と現実の世論が、乖離しているかのような言い方”をしています。
 ですが“ネットもまた現実の一部”です。中国や韓国のように、政府が世論統制が出来ない(表現の自由が保障されている)ため、国民は様々な意思表示をされます。
 言ってしまえば、“下手な世論調査をするよりも、ネットの方が国民世論を映し出している”んですね。

 加えて言ってしまえば、“私達のような市井の住人が、政治活動を出来るのはネット中心にならざるを得ない”という側面があります。
 反原発なり、反基地、反オスプレイ等の抗議集会があります。其れ自体へ対して良いとも悪いとも申しません。
 ですが“平日の昼間、または大切な休日を潰してまで参加出来る人間は、ごく一部”でしょう。国会を取り囲んだり、バリケードを積んだりと暴力的な行為も目に余りますし。

 従って“ネットが世論を形成する中心の場になるのは当然”なんです。そして“保守化が進んできたと言えば、其れは世論全体がそうなっている”だけの話です。

 まぁ……実際の所、ネット世論と言っても本当に日本人が書いてるのか、また複数の人物が書いているのか、確かめる術はありません。またしてもいけないと思います。
(憲法に“手紙を検閲してはならない”とあった気がします)
 ですからネットに書いてあったとしても、鵜呑みにするのは頂けないかと存じます。勿論私の言も例外ではありません。

 しかし国民の“世論”を確かめるには最善の方法があります。
 前にも上げた“国政選挙”――漸く此所で選挙の話へ戻りました

 前の参議院選挙、そして地方統一選挙、更には知事や市長選挙に於いても、多くの場合で前与党側である自民・公明党が勝利しています。
 つまり“世論の大勢は現与党を見限り、前与党の復帰を望んでいる”、最大の証左である訳ですが、マスコミの中の方はそこら辺の折り合いは度つけてらっしゃるのでしょうか?

 まぁ半世紀以上に渡って、有りもしない世論や民意を騙り、日本国民へ対して嘘を吐き続けてきたのですから、今度も同じでしょうね。
 自分達だけの狭い考えを世論と見なし、其れをあたかも全てであるように見せかける――残念ですが、私達の信頼しているマスコミは其の程度の人種です。


2012年10月10日 朝日新聞 天声人語
http://www.asahi.com/paper/column.html
アラン・ドロンの出世作「太陽がいっぱい」は、裕福な友になりすまして財産を狙う話だった。別人を装う点は振り込め詐欺も同じだ。こうした「世俗の悪事」に比べ、ネット空間の闇は底が知れない
(中略)
ネット上には日々20万種ものウイルスが放たれ、対策が追いつかないそうだ。生活感の乏しい部屋で、陰々と悪意を「培養」している輩(やから)に言いたい。人生は短い。他を陥れる暇と知恵があるなら、「自分の今」を楽しまないか
(以下略・引用終了)


 遠隔操作型ウイルスを非難しているように見えますが、ネット世論へ対する嘲りだと私は理解しています。
 朝日新聞――というかマスコミ全般ですが――は勘違いされてらっしゃるようですが、ネット世論やネットを介して政治活動なり意思表明をしている層は、其の多くが一般の市政に住む、極々普通の社会生活を営む一般人です、
 もしもマスコミが思う“世論”と乖離しているのであれば、其れは“マスコミが世論から乖離しているだけ”の話です。


 彼らがやっているのは、鳥だけが住む里へコウモリがやって来て、「お前達は鳥じゃない!俺が鳥なんだ!」と叫き立てるに等しいでしょう。

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