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コンクリートで人が 〜マスコミと言う“企業の論理”〜

 私が嫌うものの一つに“主義を押し通して現実を見ない”と言う事があります。
 例えば栄養失調になっているのにダイエットを敢行したり、給料日前だというのに豪遊したり、まぁ個人が個人の責任でする分には構わないとは思います。

 しかし残念な事に“其れが誤りであると知っていて確信犯(正確には故意犯)”も、またあってしまいます。


【天声人語】笹子トンネル天井崩落事故…悲劇を口実に予算が野放図に復活しては困る、命を守る策はむしろ「コンクリから人へ」だ(2012-1204)
http://www.asahi.com/paper/column20121204.html
(前略)
 中央自動車道笹子(ささご)トンネルの天井崩落は、3台を巻き込み、9人が亡くなる惨事となった。130メートルにわたり300枚ものコンクリート板が落ちる、前例のない事故である
 崩れたのは全長の3%。7秒で抜けられる距離で、ひと息の差が生と死を分けた。前触れもなく、前途を絶たれた人の絶望に胸が詰まる。渋滞していたらと思うと、なお恐ろしい
 開通以来35年、外は地圧と水、内は排ガスや振動にさらされてきた。老朽化という時限爆弾が、天井裏に埋め込まれていなかったか。秋に点検済みとはいえ、最上部のボルト周辺は目視のみ。打音検査なら劣化が分かったかもしれない
 「中高年」に入るインフラは、入念な手入れが欠かせない。悲劇を口実に、道路予算が野放図に復活しては困るが、命を守る策はむしろ「コンクリから人へ」だ。今の日本には、蓄えたものを細く長く使う、倹約の哲学がほしい。それを劣化とは呼ばない。
(以上引用終了)


 亡くなられた方のご遺族の前で音読して頂きたい程の名文ですね。吐き気がします。
 朝日新聞は「何時起きるか分からない事故を完全に予測した上で、其処以外の保守整備はするな」と仰るわけですか。

 其れはつまり“警察は犯罪の起きる場所にだけ警察官を配置して予防し、其の他は無駄だからリストラしろ”と言っているに等しい暴論であるかと存じます。恐ろしく無能と言いましょうか、何一つ現実を見ていない証拠でもあります。

 そもそも日本のマスコミ各社は「耳障りが良いが全く内容が伴っていないキャッチフレーズ」を多用します。例えば「コントリートから人へ」「無駄な公共事業」「箱物行政」等々ですかね。
 其の結果“公共事業=悪”だと言う認識が増え、時の野党である自民党は徐々に削減を迫られ(程度の問題ですが、必要最低限ですら怪しいレベルまで落ち込み)、其れ“だけ”を連呼するだけで票が集まる異様な事態となり、結果政権交代へ至ってしまいました。

 ですが現実はどうでしょうか?

 日本には利便性の高い道路網が貼り巡られてあります。ですが其れらは通行量が多くなれば、アスファルトは削られ、側面にはひびが入り、鉄骨も酸化していきます。
 其の結果起きたのが今回の事件です。

 以前――約五ヶ月前に私はこう書きました。


公共事業は悪なのか? 〜西日本豪雨〜(2012-0722)
 ですが生命や財産に直結するような治水事業、また老朽化してきたインフラの整備、更には発展するために必要な先行投資までするな、とは一体マスコミは何を考えているのでしょうか?
 そもそも其の言葉を九州で言えますか?汚泥が押し寄せた家屋に住む方や、家が流された方へ対し、「公共事業は悪だからするな」と。


 そして私などよりも早く、そう言っていた方も居ます。


2009年12月25日 谷垣総裁や知事ら、八ッ場ダム建設推進訴え(動画あり)
http://news24.jp/articles/2009/12/25/04150480.html#
 前原国交相が建設中止を発表している群馬・長野原町の八ッ場(やんば)ダムについて、自民党の国会議員や首都圏の知事らが25日、国会近くで集会を開き、あらためて建設推進を訴えた。
 集会には自民党・谷垣総裁をはじめ首都圏の知事らが集まり、八ッ場ダムの建設中止に批判が相次いだ。
 谷垣総裁「八ッ場ダムは『コンクリートから人へ』という美しい言葉の犠牲になって、血祭りに上げられた。コンクリートが人を守り、命を守る!」
(以下略)


 民主党政権が公共事業を削ったお陰で、またマスコミが不要だと散々煽ってきたせいで、必要な公共事業の多くは着工が後れたり、施行中止へと追い込まれてきました。
(そしてもしも自民党政権が“独裁的”であれば、地元住人の合意を数十年掛けて取ったりはせず、直ぐさま着工していたでしょうが)
 しかし現実問題として豪雨や大雪、道路や防災へ対しての不備という形で多くの日本人の財産や時には人命が失われてきました。其れが、現実です。

 そしてまた“公共事業は不要、無駄な税金を遣うな!”と仰っていたマスコミの多くが、都心部や大都市へ社を構え、世界屈指の恵まれたインフラと防災設備に守られています。
 結局インフラの不備で被害を受けるのは地方の住人――しかも行政が無能というわけではなく、防災・保守計画があったのにマスコミの横槍で頓挫した例が多々あります。


 事故を100%防ぐのは不可能です。理由としては“完璧や絶対は有り得ない”からです。

 交通量の多い道路があるとしましょう。事故を防ぐためにガードレールや横断歩道と信号機を設置します。其れでもまだゼロとは行かないでしょう。
 横断歩道を廃して立体歩道を設けたとしても、面倒だと言う理由から道路を横切ったりしますし、また飲酒運転であれば、どんな事故抑止がされていても関係ありませんし。
(まぁプログラム通りに動く、電子の世界コンピュータやOSの世界ですらバグやフリーズが発生するのと一緒……でしょうか?)


 “主義を押し通して現実を見ない”……まぁ其れは其れで構いません。
 厚着をするのが嫌であればシャツ一枚で暮らすのも良いでしょうし、宗教上の理由から輸血を拒むのもまた良いでしょう。本人が納得した上で責任の取れる年齢であれば、ですが。
 ですが“日本のマスコミのように、彼らの主義信条に日本国民を巻き込むな”と私は言いたいです。彼らが現実を無視して書き込む事で、真に受ける方は少なからず居るでしょうしね。

 まぁ真に受けるのもまた自由なのですが――其れで?貴方の家が土砂で押し潰されたり、老朽化した上保守整備が不十分なために事故に巻き込まれたりしても、マスコミは貴方へ対して何の責任も負いませんよ?
 それどころか「悲劇の○○!○○の犠牲者!」等と見出しをつけ、貴方の写真を嬉々として撮影し、全国区へ配信するだけです。


 私達日本人は万が一に備えて保守整備をしてきました。何分太古から台風や地震など、災害の多い国土に住んでいましたから。
 弱くなった所は補強し、時には作り替え、新しい工法が出来れば立て直し――其れを半世紀続けてきました。其の根底にあるものは“100%は防げないが、100%を目指そう”と言う目標があり、其れを後世へ伝えて来たからです。

 そうですね。ここまで言っても納得できない方も居るでしょうが……あぁ「私達の代で保守整備を怠った場合、そのツケを命という対価で支払わされるのは、私達の子や孫といった世代」です。

 其れでも良いというのであれば、反公共事業を推進して下さい――必ずしも対価を払うのは、子孫とは限らないと体験するもまた宜しいかと存じます。

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