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書きたくは無いが、書かなければいけない現実

〜原発避難者と津波被災者の「溝」〜

 はっきり言います、いや言いたくはないんですが……まぁ綺麗事だけ書くのもまた、何処かのマスコミさん達と同じなので、私は嫌な事であろうとも可能な限り冷静に記そうと思います。

 2011年3月11日、我が国を極めて稀な大震災が襲いました。多くの方が亡くなられ、家や財産が失われました。また同時に東京電力福島第一原発が事故を起し、民主党菅直人総理が判断を悉く間違ったがために、福島県や東北へ放射性物質が散布されました。
(※在日米軍の支援を断り、自分のパフォーマンスのために貴重な時間を浪費させ、SPEEDI等の放射線予測を非公開にし、海水注入停止の指示を出した、と言うのが根拠です)

 あれから約21ヶ月、民主党政権は筆舌にしがたい無能ぶりを発揮し、未だに被災地の海岸線の多くは黒い土嚢袋に仮補修しただけ、また被災者も仮住宅の身、と言う散々な待遇を迫られています。
 此は民主党だけを責めるのは筋違いです。私達日本国民がマスコミの扇動を真に受け、無能な指導者を頂いてしまった結果、起きてしまった事です。


 さて――私も被災地に住んでいるのですが、其の、余り評判が宜しくないと言いましょうか。まぁまずは朝日新聞地方版の記事をご覧下さい。
(かなりの長文のため意図的に抜粋・編集しています。また本名らしき部分は全て仮名に直しています)


朝日新聞 広がる支援格差 現場で広がる「溝」
 海岸から1キロほど離れた駅の西側に昨秋、280戸の大規模な仮設住宅ができた。四倉の被災者もここに避難していると聞き、訪ねた。
 入り口の看板には「広野町/川内村」と書かれているだけだ。敷地の真ん中には川内村の認知症患者向けの私設が整う。
 談話室の入り口を開けると、カラオケを楽しむ人たちの歌声。輪投げを楽しむ十数人のお年寄りの笑い声も聞こえる。広野町の女性ボランティア二人は、町民宅を1軒ずつ歩いては安否を気遣い、ユズを配っていた。
 その向こう。敷地の北側を40メートルほど進むと、人の出入りが途端に少なくなる。この5棟が、四倉の人たちの仮設だった。

「間借り」身分
 約39世帯、60人ほどが暮らす。横の集会所は無人で、掲示板には何の張り紙もない。郵便局員がバイクで回っていた。書留や小包を届けようとしたが、留守宅が多く、不在票を投函して去っていった。
 四倉被災者の班長をしているAさんが事情を教えてくれた。
「日中に四倉の人がいない理由が分かりますか?生活を維持するために働きに出ている人が多いからですよ」
 四倉は東京電力福島第一原発から35キロ。わずか5キロ遠いだけで、給料補償や月々10万円の精神的賠償は受けられず、9月には医療費の無料措置も打ち切られた。原発避難者と津波被災者の格差は広がる一方だ。
(中略・個人情報に繋がるので割愛)
 Aさんがここに住み始めたのは1年前。それまでは15キロ離れた別の仮設にいたが、
「地元に仮設ができると聞き、市に懇願して引っ越せました」
 県によると、この仮設は広野町と川内村の要請で建設されたが、余裕が出たため、いわき市が広野から特別に約30世帯分を借りた。Aさんたちは「間借り」している身分。その存在は入り口の看板には記されない。
「四倉に移る手続きをしたとき、市からは『いわきの人が四倉の仮設にいると口外しないでほしい』と言われました」
 Aさんが明かした。
「地元なのに、なぜひっそり暮らさないといけないの?戸籍を抹消されている気持ちです」

「けんか」寸前
 住民同士の衝突も起きた。
 10月のある日曜。平日は留守宅が多い四倉側の仮設に、初めてボランティアが訪れ、室内に棚を作っていった。
「俺たちの仮設にも来てくれよ」
 作業員に声を掛ける広野の仮設の男性。それに四倉の女性が怒鳴った。
「あんたたちは賠償ももらって、今までボランティアの支援もたくさん受けているでしょ!」
 つかみ合いのけんかになりそうなのを、Aさんは止めに入ったという。
 原発避難者との「溝」は埋まりそうにもない。
「再来年には四倉に復興住宅ができます。そこはいわき市民だけのはずです。今は其処へ引っ越すのを待つのが精いっぱいなんです」
(以上引用終了・以下は原発避難者も気を遣っている“らしい”と言う文が続きます)


 今年あった事件の一つに“吉本興業の次長課長と言うコンビに所属される河本準一氏のお母様が生活保護の不正受給をする”と言うものがありました。何故私があんなにも取り上げからと言えば、以上の現実があるからです。
 津波で家を失い、財産を失って仮設住宅に身を寄せながらも、生活保護には頼らず、日々懸命に労働している被災者の方が居ます。其れに対して河本準一氏の行為は、どれだけ“甘え”なのか、と。

 また私も四倉のAさんに共感しています。気持ちが分かる、と言いましょうか、分かりすぎます。暴言になるかも知れませんが、原発避難者の皆さん、貴方方は一体何様か、と。
 確か……数ヶ月前にいわき市に非難されている方達が“仮の町”が欲しいと仰いました。私も記事にしましたが。


福島の近況について 〜農作物と被災瓦礫〜
 2012年9月上旬、いわき市と彼らの間で話し合いがまとめられました。議題は“仮の町”についてです。
 現在約2万人程仮設、または借り上げた住宅へ住んでいるのですが、彼らは最低でも後五年は帰還できない(だろう)としています。よってそろそろ“町毎に集団で居られる所が欲しい”そうです。
 四つの市町村だとして、一つ当たり5000人の集落を何処へ作ったらいいのか?と、いうかなり大きな問題が上がっています。確かに田舎なので其れなりに土地は余っていますが、そもそも遊ばせている土地があるのならば、最初から其処へ仮設住宅を置いたでしょうし。
(現在かなりの飛び地になっています)
 話し合いは何も決まらずに終わりました。正直、どういう結論を出すのか想像できません。


 少し前に聞いた話だと、ゴルフ場を買い取って整備しろ、だと言っていましたが……いや、気持ちは分かるんですね。苦労も想像でしかありませんが、理解は出来るでしょう。
 ですがね、何事も優先順位ってのがあります。具体的には仮の町どうこうを作る前に、市内で家を失った方達の復興住宅を造らなければいけません。
 また同時に防災設備も整える必要があります。繰り返しますが、我が市の沿岸部は全く補修されておらず、今も黒い土嚢が積み上がっているだけです。

 まぁ……難しい問題ですね。悪く言うのは幾らだって言えますし、無理に美化しようとしても空々しく聞こえるだけです。
 また原発避難者にも言い分はあるでしょう。帰還時期やら除線等々、個人がどうこう出来ない以上は行政の責任であるのは間違いありません。
 「誰が悪い?」と聞かれる事があれば、私は「日本人が悪い」と答えるでしょう。

 原発避難者・津波被災者、また彼らを取り巻く市民の責任でしょう。其れは「復興一つ碌に進められない無能な民主党政権を戴いてしまった」からです。
 復興が全く進んでいないのに、農業従事者が多い東北各県を死に追いやるようなTPPをいきなりぶち上げ、被災地で彼らは「公共事業を減らす!」と「震災復興!」を同じく口から叫んでいました

 確か阪神淡路大震災の際には、三年で仮設住宅は消えたと言います。ですが少なくとも私の市ではつい先日も新しい仮設住宅を建てている始末です。
(会津から来ていると言う噂を聞きました。其の内、近くのコンビニにでも行って訊ねてみます)


 政権交代が起きたため、多少は復興のスピードも速くなるでしょうが、復興が進まない中、私達の間に出来た“溝”はどうやって埋めたものでしょうか。
 あぁそう言えば菅直人前総理は総理退任後、一度も我が県へ足を運ばれた事はありませんね。少なくとも毎日は新聞の地方欄を見る限りでは、ですが。
 そしてこの間の総選挙の際、菅直人元総理が辻立ち(街頭演説)をしていたのですが、其の際の写真です。

 足下をご覧下さい。ビールケースに“脱原発”と書いた紙を貼り付けています。

 私には“菅直人氏が脱原発を踏み台にしている”ようにしか見えませんが、皆さんは如何思われますか?

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