被災地で囁かれている事 〜自助と依存と自立、高校受験問題〜
年末、知人と話をした際に持ち上がった話です。
まず私の住んで居る所では約2万3千人の原発避難者が暮らしています。其れは別に構わないのですが、元々居た住人は約30数万人、約一割が増えた計算となります。
そして今、中学生や学校の先生を悩ませて居るのが、『高校進学』と言う話を聞きました。
高校を受験する中学生にすれば、ライバルが一割増えたのと同義になります。
民主党政権によって原発避難者の先行きは全く見えない状況でした。其れは何故かと問われれば仮設住宅のままで年を二回越し、具体的な方針が全てに置いて先送りというものだったからです。
例えば――そうですね、まず避難者が口にするのは「いつまで仮設に住み続けなければいけないのか?」と言う疑問ですね。帰還出来れば其れに越した事はあり ませんが、仮の町を作るのか、其れとも何処かへ集団移転するのか、はたまた住民手帳のようなものを作り、現在避難している自治体へ住民票を移すのか、と。 様々な案があります。
しかし民主党は何一つ決定する事無く避けてきました。其の純然たる結果として、今も尚仮設住宅に多くの方が住んでいます。
(もうすぐ震災から二年が経とうしているのに、未だ何も決められていません)
そして行き先の見えない不安はあっても、住民は前へ向かおうとします。要は“現状のままでも日常に融け込もうとする”でしょうか。
其の結果の一つとして“避難者の高校受験生の行き先が読めない”ですね。
双葉郡(原発避難者が住んでいた所)にも高校はありました。相馬や新地の方にもありますが省いています。
まぁ何が言いたいかと言えば、『本来であれば地元の高校へ通う筈だった双葉郡の高校生が、避難先の自治体の高校で競合する“かもしれない”』んですね。
勿論某かの救済措置を執り、避難者の高校受験生は双葉郡にあった高校や関係者が開く、仮の高校へ入る可能性はあります。
しかし“帰還が何時になるのか分からない上、不安定になるのを嫌った受験生や家族が、避難先の高校を選ぶ可能性もまた高い”と。
問題なのは年々少子化につき、どの高校も定員が削減されている事、加えて地元の受験生には何ら救済策が執られていない事、でしょうか。要は「受験生が増えた分、本来入学を希望した地元の受験生との争いになる」と言う話です。
困惑しているのは受験生だけでなく、進路指導の教師も頭を抱えているそうです。
更に避難者の受験生が移転した(双葉郡にあった)高校を受験出来るのに対し、避難者を受け入れた自治体の受験生は元からあった高校しか選べません。
(可不可で言えば可能なのでしょうが、わざわざ普通の高校があるのに選ぶ必然性もないでしょうし)
しかしまぁ……なんでしょうね?いや訊かれても困ると思いますが。そろそろ二年が経とうしているのに、未だ立ち上がれず――いや“立ち上がろうとしない”人間には、こう複雑な気持ちを抱いてしまいます。
確かに住まいを追われ、仕事を奪われた環境には同情に値します。ましてやネットでは一部の反原発を唱える人間が、殊更に(嘘を吐いてまで)放射線被害を書き立てているのには、断固として抗議したいと思います。
けれど我が町では震災被害者よりも優遇され、また月々東京電力から多額の現金を得ながら暮らしている人間を目の当たりにしてしまうと――どうにも、何か違うような、何かボタンを掛け違えているような印象を受けてしまいます。
(詳しくは過去の記事をご覧下さい)
書きたくは無いが、書かなければいけない現実 〜原発避難者と津波被災者の「溝」〜
2012年末、かねてから進められていた仮の街構想で一つの進展がありました。某ゴルフ場を買い取り、其処へ住人が引っ越して暮らすとの話です。施設として小中学校も併設する案も検討されています。
現時点で必要とされている予算は300億円。街一つの移転なのですから、妥当か安いかの判別は難しいでしょう。ただし“何時の日か帰還を前提する”には勿体無い気もします。
文体から原発避難者を責めている、と受け取る方も居ると思います。私も(幾ら事実とは言え)割と主観的な意見も交えて書きました。確かに私自身複雑な心境を抱えていますし、避難先の街の住人から声が上がって居るのも事実です。
(同じ被災者なのに、たかだか数キロ違いでどうしてこうも待遇が違うのか、と)
断言します。
避難者という“訪問客なのか、定住者なのか分からない存在”の振る舞いや扱いに憂慮しているのは事実です。其れを否定するつもりはありません。
ですが同時に私はこうも言います――『そう言った彼らの待遇を宙ぶらりんのまま、何も具体的で現実的な案を出さず、場当たり的な対処療法で凌いできた民主党政権に責任がある』と。
思えば……阪神淡路震災や新潟県中越地震でもそうでした。多くの方が亡くなられて、財産を失いました。
ですが“あと二ヶ月で二年経つというのに、被災地は全く復興していない”んですね。海岸線はそのまま、瓦礫の山はあちこちに広がり、復興住宅は来年完成“予定”と。
まぁ其れだけでは“まだ”マシかも知れません。しかし同規模か其れ以上の被害が予測されている関東・東海の耐震や防災設備についても、何も手をつけていない状態です。
何故出来ないか、と言えば“民主党政権は新聞・テレビが生んだ衆愚政治家の集まりであり、まともな政策を打てない”と言う一言に尽きるでしょう。
公共事業には全て悪というレッテルを貼り、必要な工事や防災設備を渋った挙げ句、復興のための予算すら碌に確保出来ず(あまつさえ流用し、中国や韓国のために遣い込み)、何も出来ませんでした。
原発避難者の方達はそういった無責任な人達の犠牲になっただけで、本来非難されるべきなのは民主党であり、彼らを持ち上げ続けてきたマスコミがされるべき非難です。
(全く問題がないとは言いません)
原発問題は確かにありました。其れが他の震災とは決定的に違う、と仰る方も居るでしょう。まぁある程度共感はします。
ですが、他の災害に於いてすら100%の住人が元の場所へ帰還しているとは限りません。ましてや廃炉まで数十年と言われており、正直何時になるのかの疑問もあるでしょう。
だからこそ前へ進んでみてはどうでしょうか。奇しくも避難者が避難した先の高校を選ぶように、同じ街の住人として融け込み、他と同じ待遇で暮らしてみては、と。
勿論故郷を捨てろとは言っていません。然るべき時が来れば帰れば良い、其れだけの話です。ほぼ全ての日本人がそうしているように、只、そうすれば貴方方を非難する声は無くなるでしょう。
もしも不安であるのならば、少し落ち着いて周囲を見れば良いかと存じます。地震や津波で家族を失い、家を失い、命以外を失った方達が宮城、岩手、福島には数多く住んでいるからです。
似たような境遇なのに腐る事無く、甘える事無く暮らしています――勿論、私も。
まず私の住んで居る所では約2万3千人の原発避難者が暮らしています。其れは別に構わないのですが、元々居た住人は約30数万人、約一割が増えた計算となります。
そして今、中学生や学校の先生を悩ませて居るのが、『高校進学』と言う話を聞きました。
高校を受験する中学生にすれば、ライバルが一割増えたのと同義になります。
民主党政権によって原発避難者の先行きは全く見えない状況でした。其れは何故かと問われれば仮設住宅のままで年を二回越し、具体的な方針が全てに置いて先送りというものだったからです。
例えば――そうですね、まず避難者が口にするのは「いつまで仮設に住み続けなければいけないのか?」と言う疑問ですね。帰還出来れば其れに越した事はあり ませんが、仮の町を作るのか、其れとも何処かへ集団移転するのか、はたまた住民手帳のようなものを作り、現在避難している自治体へ住民票を移すのか、と。 様々な案があります。
しかし民主党は何一つ決定する事無く避けてきました。其の純然たる結果として、今も尚仮設住宅に多くの方が住んでいます。
(もうすぐ震災から二年が経とうしているのに、未だ何も決められていません)
そして行き先の見えない不安はあっても、住民は前へ向かおうとします。要は“現状のままでも日常に融け込もうとする”でしょうか。
其の結果の一つとして“避難者の高校受験生の行き先が読めない”ですね。
双葉郡(原発避難者が住んでいた所)にも高校はありました。相馬や新地の方にもありますが省いています。
- 福島県立双葉高等学校
- 福島県立浪江高等学校
- 福島県立浪江高等学校津島校
- 福島県立富岡高等学校
- 福島県立双葉翔陽高等学校
- 福島県立小高商業高等学校
- 福島県立小高工業高等学校
まぁ何が言いたいかと言えば、『本来であれば地元の高校へ通う筈だった双葉郡の高校生が、避難先の自治体の高校で競合する“かもしれない”』んですね。
勿論某かの救済措置を執り、避難者の高校受験生は双葉郡にあった高校や関係者が開く、仮の高校へ入る可能性はあります。
しかし“帰還が何時になるのか分からない上、不安定になるのを嫌った受験生や家族が、避難先の高校を選ぶ可能性もまた高い”と。
問題なのは年々少子化につき、どの高校も定員が削減されている事、加えて地元の受験生には何ら救済策が執られていない事、でしょうか。要は「受験生が増えた分、本来入学を希望した地元の受験生との争いになる」と言う話です。
困惑しているのは受験生だけでなく、進路指導の教師も頭を抱えているそうです。
更に避難者の受験生が移転した(双葉郡にあった)高校を受験出来るのに対し、避難者を受け入れた自治体の受験生は元からあった高校しか選べません。
(可不可で言えば可能なのでしょうが、わざわざ普通の高校があるのに選ぶ必然性もないでしょうし)
しかしまぁ……なんでしょうね?いや訊かれても困ると思いますが。そろそろ二年が経とうしているのに、未だ立ち上がれず――いや“立ち上がろうとしない”人間には、こう複雑な気持ちを抱いてしまいます。
確かに住まいを追われ、仕事を奪われた環境には同情に値します。ましてやネットでは一部の反原発を唱える人間が、殊更に(嘘を吐いてまで)放射線被害を書き立てているのには、断固として抗議したいと思います。
けれど我が町では震災被害者よりも優遇され、また月々東京電力から多額の現金を得ながら暮らしている人間を目の当たりにしてしまうと――どうにも、何か違うような、何かボタンを掛け違えているような印象を受けてしまいます。
(詳しくは過去の記事をご覧下さい)
書きたくは無いが、書かなければいけない現実 〜原発避難者と津波被災者の「溝」〜
2012年末、かねてから進められていた仮の街構想で一つの進展がありました。某ゴルフ場を買い取り、其処へ住人が引っ越して暮らすとの話です。施設として小中学校も併設する案も検討されています。
現時点で必要とされている予算は300億円。街一つの移転なのですから、妥当か安いかの判別は難しいでしょう。ただし“何時の日か帰還を前提する”には勿体無い気もします。
文体から原発避難者を責めている、と受け取る方も居ると思います。私も(幾ら事実とは言え)割と主観的な意見も交えて書きました。確かに私自身複雑な心境を抱えていますし、避難先の街の住人から声が上がって居るのも事実です。
(同じ被災者なのに、たかだか数キロ違いでどうしてこうも待遇が違うのか、と)
断言します。
避難者という“訪問客なのか、定住者なのか分からない存在”の振る舞いや扱いに憂慮しているのは事実です。其れを否定するつもりはありません。
ですが同時に私はこうも言います――『そう言った彼らの待遇を宙ぶらりんのまま、何も具体的で現実的な案を出さず、場当たり的な対処療法で凌いできた民主党政権に責任がある』と。
思えば……阪神淡路震災や新潟県中越地震でもそうでした。多くの方が亡くなられて、財産を失いました。
ですが“あと二ヶ月で二年経つというのに、被災地は全く復興していない”んですね。海岸線はそのまま、瓦礫の山はあちこちに広がり、復興住宅は来年完成“予定”と。
まぁ其れだけでは“まだ”マシかも知れません。しかし同規模か其れ以上の被害が予測されている関東・東海の耐震や防災設備についても、何も手をつけていない状態です。
何故出来ないか、と言えば“民主党政権は新聞・テレビが生んだ衆愚政治家の集まりであり、まともな政策を打てない”と言う一言に尽きるでしょう。
公共事業には全て悪というレッテルを貼り、必要な工事や防災設備を渋った挙げ句、復興のための予算すら碌に確保出来ず(あまつさえ流用し、中国や韓国のために遣い込み)、何も出来ませんでした。
原発避難者の方達はそういった無責任な人達の犠牲になっただけで、本来非難されるべきなのは民主党であり、彼らを持ち上げ続けてきたマスコミがされるべき非難です。
(全く問題がないとは言いません)
原発問題は確かにありました。其れが他の震災とは決定的に違う、と仰る方も居るでしょう。まぁある程度共感はします。
ですが、他の災害に於いてすら100%の住人が元の場所へ帰還しているとは限りません。ましてや廃炉まで数十年と言われており、正直何時になるのかの疑問もあるでしょう。
だからこそ前へ進んでみてはどうでしょうか。奇しくも避難者が避難した先の高校を選ぶように、同じ街の住人として融け込み、他と同じ待遇で暮らしてみては、と。
勿論故郷を捨てろとは言っていません。然るべき時が来れば帰れば良い、其れだけの話です。ほぼ全ての日本人がそうしているように、只、そうすれば貴方方を非難する声は無くなるでしょう。
もしも不安であるのならば、少し落ち着いて周囲を見れば良いかと存じます。地震や津波で家族を失い、家を失い、命以外を失った方達が宮城、岩手、福島には数多く住んでいるからです。
似たような境遇なのに腐る事無く、甘える事無く暮らしています――勿論、私も。