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被災地に住んでいて分かった事 〜反原発の後に残るもの〜

 最初に断っておきますが、私は“緩やかな”脱原発派です。将来的には、具体的に言えば代替的なエネルギーが確保されるまでは、安全対策を施した上で原発を稼働すべきだ、と主張をしています。
 其の根拠としているのは、

  • 安全性が問題だと言うのであれば、より最新型で震源に近かった女川原発は爆発せず、被災者の避難場所となっている
  • 現時点で国内企業は自由に電力が使えず、また料金の引き上げによって経済的に破綻を来しかねない
  • そもそも開発される“かも知れない”新エネルギーに全てを託し、今現実に起っている電力不足を無視するのは有り得ない

以上の理由です。
(「今すぐ全ての原発を止めろ!」と主張される方は、以下「反原発派」と呼称します)

 ちなみに某所にて以上の根拠を挙げた上、「代わりの電力が確保出来ない内は、原発の再稼働や安全基準の高い原発の建設も、現実的な観点から必要だ」と言った所、

「お前は電力会社からの回し者か!」

と冗談抜きで言われました。確かに私は福島県に住んでいるので、弁済金だかを貰いました。なので其の事を言うと、

「福島県民はフクシマへ帰れ!毒野菜喰って死ね!」

だ、そうです。あぁちなみに私が以前挙げたデータの数々、放射能泉やら60年代からの日本国内での土壌中の線量推移を示しましたが、結局其の方は私の話を聞こうともせず、会話は成立しませんでした。
(詳しくは”此方”をクリックして下さい)



 2013年01月16日の朝日新聞地方欄から引用した記事です。


みつばちの目――笠井哲也
(前略)
 年明けには、福島市のある農家と脱原発運動にいて話をした。県外であった集会で、放射能検査の結果が「不検出」だった果物を並べようとすると、
「毒を売るな」
と抗議された。
 その農家はずっと原発の反対運動に関わってきた。居間に並ぶ本を見れば明らかだ。
 だが、この一件で反原発の活動家への信頼は揺らいだと言う。
 だったら、ここに住んで農業をしている私たちの人権はどうなるの、と。
(以下略)


 あぁ成程と。何処でも反原発派は変わらないのだな、とつくづく納得しました。
 私は震災や被災者になって多くの事を学びました。殆どが同じ日本人や、特定アジア三カ国を除く方達から頂いた善意やご支援、其れらを私は生きている限り忘れずに、そしてまた何かあった場合には返そうと誓っています
 そう言った意味では人間として成長した、とは思います。思いますが……まぁ、何事であっても良い事柄ばかりとは限りません。
 私や、私達被災者が心を痛めているのは、先に挙げた“反原発派”だったんですね。


 被災者が対峙している問題は幾つかあります。インフラの復興、新しい家屋や防災設備の構築、住む人々の雇用等、でしょうか。一応自民党新政権では其れらの予算が組まれ、中長期的な計画が立てられ、希望が漸く見えてきたと言っていいでしょう。
 しかし何よりも恐ろしいのは“風評被害”なんですね。具体的には色々ありますが、例えばツイッターなりブログなりで検索して頂ければ分かるかと存じます。
 福島では原因不明の病気が蔓延っているだの、奇形児が生まれているだの、学会で発表すれば世界から注目を浴びるであろうレベルの“自称事実”が跋扈しているでしょう。

 しかしながら、其れらの多くは“嘘”です。根拠の無い思いこみや悪意の籠もった嘘、そして殆どの場合、「フクシマは○○だ!だから原発を無くせ!」と理論を展開させていきます


 何かの小説だかマンガだか、はたまた映画だったかも知れませんが、『人類の敵は人類であった』と言う台詞があります。私が感じているのもある種同じく、

『福島の復興を妨げているのは、反原発派だった』

と考えるようになってきました。
 具体例は上にある通り、“被害者である筈の福島県、または福島県民へ対し、謂われのない差別や風評被害を煽っている”と言う事実ですね。
 そしてまた反原発派もまた非常に胡散臭いです。確か未来の党、でしたか。嘉田滋賀県知事が発起人となり、原発撤廃を主な公約に掲げ選挙を戦いました。
 しかし議席は大きく減らし、反原発は日本国民の民意とは外れている、そう証明してしまいました。

 ですが此は別に構わないと思います。
 思想がどうあれ、また現時点で共感を得られないとしても、何年も掛けて国民の共感を得られればいいだけの話です。たかだか一回の選挙で負けたとからと言って、一々解党していく訳にも行きませんし。
 が、現実は非情と言いましょうか、私も少なからず驚きましたが、未来の党は選挙後に嘉田知事と阿部議員を残して早々と分裂。小沢一郎議員を主とする政党が立ち上がり、未来の党は事実上無くなりました。

 ……まぁ“此”が反原発派をよく表していると思います。目的のためには手段を選ばず、手段を講じて生まれた責任は取らず、後を汚して不始末は別の人間へ押しつける、と。
 あれだけ煽るだけ煽っておいてつくづく無責任です。政治家や反原発派にとってすれば、原発問題とは自身の利益――票を取るためのものであって、所詮は方便でしか無かったのでしょうか?憤りを感じる以前の問題で、私は非常に寂しい思いをしました
 もしも彼ら未来の党が第一党に躍進していれば、と考えるとぞっとします。
(原発はファッションや娯楽、ましてや売れない芸術家やタレントの売名行為に使われている印象すらあります。現に日本の原発には抗議する一方、中国や韓国は一切無視なんて、何処の誰がやっているのでしょうね?)



 良く誤解される方がいらっしゃいますし、またもしかしたら私が特殊なだけかも知れませんが、一応被災者の一意見として申し上げたい事があります。其れは、

『脱原発なんてどうでも良いから早く復興させてほしい』
『地震と津波で失ったインフラや、防災設備を整えて欲しい』

『復興に当たって最も障害になっているのは、放射線でも政府でもなく、嘘や差別を撒き散らしている反原発派』

の、三つですね。幸いなのは良識的な判断力を持った方が多く、反原発を高らかに叫ぶ人間達が大勢ではない、と言う事でしょうか。
 私にとって彼らの言う所の「原発の無い平和な世界」とやらが、一体どれだけの価値を持つのかは理解していません。また共感もしていません。ですので私がアレコレ言うのは筋違いな気もします。

 しかし“原発”とは“目的であって手段ではない”筈です。具体的には資源の無い日本国が、他の国家と資源を取り合う事無く安価で得られ、自国の中で経済発展を遂げられる、と言う目的のために推進が続けられてきました。

 仮に原発稼働を無くしたとしましょう。しかし其の後に何が残りますか?
 中には、「私達の子や孫へ負担を押しつけるな」 と仰る方も居ますが、代替エネルギーも確保していないのに原発を止めれば、当然供給は減り値段は上がり、貴方方の子や孫の世代へ“経済的に貧しい日本”と言う社会を押しつける事と同義です。


 悪い言い方をすれば、そうですね、

『私達の世代の自己満足のために、子や孫の未来の負担を作るのか』

と、言っておきましょうか。ある種公共事業等の社会的インフラを減らし、命を粗末にするのといています。


 まぁ所詮は奇蹄類の戯言、真に受けるのも一笑に付されるのもどうかご随意に。
 ですが、福島を離れず福島で生き、福島に骨を埋める覚悟を持つ人間が居り、現地で暮らすが故に、遠く離れた安全な場所から口先ばかりで危険危険と騒いでいる人間よりも、ずっと安全を求めて試行錯誤している事も、どうか貴方の心の隅でも覚えて頂ければ幸いです。

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