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武を修める 〜被災地から逃げ出した“武道”〜

 昔々、私の高校時代、武道の授業がありました私は剣道を選択していたのですが……お恥ずかしいながら、単位を落としそうになり、放課後一人で先生から指導を受ける事になりました。
 その際、竹刀がなく、剣道部の方が使ってるのを借りたのですが――その際、先生に聞こえないようにこう言われました。

『俺のは使うんじゃねーぞ』

 はっきり言って頭に来ました。放課後の合間、部活が始まる前なので剣道部員は居たのですが、どうして彼らに言われなければならないと?
 まぁでも結局10分ぐらい竹刀を振って(私は小学校時代に6年間剣道をやっていたので、それ程恥ずかしい様を見せなかったと思いますが)、その場は終わりました。

 彼らも私も一時期ではあるものの、同じ武道に身を置いていた者として、どうして彼らは人並みの道徳を持ち得ないんだろう、と思いました。
 しかしその一点を以て、『剣道部は人間の屑ばかりである』と断定するのは別の話です。
 確かに私が籍を置いていた頃の高校の剣道部に、彼らのような人として如何ともしがたい恥ずべき人間が居た事実は否定できません。するつもりもありません。
 しかしそれを以て全体を決めつけるのは別です。少なくとも剣道部の総意としてやってたる訳ではないでしょうから。


 この話を思い出したのには訳があります。最近こんな話を聞いたからです。

 知り合いが双葉郡のとある武道の道場に通っていました。師は同地域に住み、長らく懇意にしていた――の、ですが、被災により避難する事になりました。
 まぁここまでは事故ですし、避難するのも当然の流れだと思います。それは当然ですからね。

 で、師の避難先はなんと『西日本』だそうです。しかも関西よりも更に西。
 その話を聞いた時私は、

『武道を修める割には人間としての器が小さい』

と思いました。いや直接は言いませんでしたよ?流石にお弟子さんへは失礼ですからね。
 そして数年後、同じ方からまた話を聞いて驚きました。その師は、

『なんと避難先で道場を建てた』

んだそうです……いや、なんかこう、ね?釈然としないものがあります。

 あくまでもこれは偏見ですが、武道をしている人間ってメンタル的に幼稚じゃないですかね?そりゃ厳しい鍛錬をこなす姿勢には一定の敬意を表わしますが、それとは別に人生に対しての、と言いますか。
 私が高校時代に体験した高校剣道部のモラルのない部員達、そして今回避難した武道の師。どちらも『幼稚』じゃないでしょうか。

 よく剣道は使えない(武器を持ち歩けない現代においては意義が薄い)等と言われますが、大抵そこは「心を鍛える」との返事が選ってきます。
 「例えば目の前で犯罪があったとして、それを止めるためには勇気が要る。それを鍛えるのが剣道だ」的な話。それは尤もだと思います。
 けれどそれは裏を返してみれば、『何か少々気に入らない事があったとしても、暴力で黙らせる事が出来る』事に繋がりはしないかと危惧しています。多少人よりも鍛えている分、高圧的とでも言いましょうか。

 高校剣道部部員達の高圧的な振る舞いは兎も角、双葉郡のとある武道の師範さんは、正直情けないとしか思えません。大の大人が、それも武道を修めている人間が恐ろしくて逃げ出したなんて格好悪いにも程がある。
 少なくとも避難せずに残っている100万人近い老若男女、その殆どは武など持っていませんし、関わった経験も無いでしょうが、はてさてどちらの方が勇気を持っているのか?

 確かに比較的平和な日本で彼らの“武”が活躍出来る場が少ないのは喜ばしい事です。
 しかし同時に『鍛えているのは肉体だけで、心は幼稚である』などという本末転倒な事にならなければいいのですけど。
 結局、『現実』という相手に戦うのに武道の有無は関係ない、と言うだけの話。
 あぁ勿論これは極論ですし、例外を以て全体を語るのは筋違いだとも思います。ですからこれは私の『感想』です。

 では、あなたはどうです?そんな人間に何か教わる事があると思いますか?


文責;弾犀@奇蹄類


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