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憲法九条教徒は現実逃避 〜日本の今を考える〜

 私は基本的に宗教家と呼ばれる方の一部を嫌悪しています。所謂『本山』とか国宝に指定され、毎年大量の観光客を呼び入れ、一体修行とやらはいつしているのか?と疑いたくなるような方『だけ』ですので誤解しないで下さい。
 信仰に正しいも間違いも存在はしませんよ。酒を飲み肉を喰らい、法外な戒名代を要求する、現世利益にまみれた俗物であっても、当人が僧侶だと主張するのであれば、まぁそうなんでしょうね。自称するのは勝手、自由です。
 ですが、『そんな人間を他人がどう思われるのかはまた別』であり、俗物が唱えた念仏を有り難がる人間は少ないでしょう。そう私は考えますし、その結果が今日の信仰離れなのでしょう。

 同様に『憲法九条教徒』も実に救いがたい、という理解出来ません。彼らは一見まともな事を言っているようで、理論は根底から破綻しているのです。例えば、
 戦争は嫌い、平和が大事――まぁそれを否定する人間はまず居ません。私も心の底から賛同したいと思います。

 ですが『その手段として憲法九条の護持』とやらが、果たしてどれだけ平和へ貢献するのでしょうか?そしてまたしてきたのでしょうか?
 彼はまたこうも言います、「憲法九条のお陰で日本は戦争をせずに済んだ」と。

 ですがそれは『ただの詭弁』でしょう?何故ならば国連加盟国191ヶ国、台湾も含めて192ヶ国の内、『憲法九条』を持たない国家が191ヶ国ほどありましたが、『その殆どは戦争をせず、巻き込まれてもいない』ため、憲法九条が守ったというのはデマです。

 そもそも、以下の質問に答えて頂きたい。

 何故竹島が韓国に占領されているのでしょうか?
 何故多くの日本人が北朝鮮に拉致されたのでしょうか?
 何故中国が数百発の核兵器を日本に向け、しかも年率20%超の軍拡を続けているのでしょうか?
 何故中国が尖閣を侵攻しようとしているのでしょうか?
 何故素晴らしい憲法九条を採用している国家が日本しか無いのか?


 ……まぁアレですよね、『南無阿弥陀仏』と同じ。
 嘗て信仰が今よりももっと切実であった時代、人々が死と隣り合わせだった時には、信仰とは救いだったのでしょう。不意の死を遂げようとしても、念仏さえ唱えれば死後極楽へ行ける――という『救い』だと。

 ですがね、それはあくまでも『信仰』ですからね?私は民俗学の研究をする手前、無信仰を通していますが、否定するつもりも文句をつけるつもりもありませんよ。
 ただ考えてもみて下さい。『憲法九条も、護憲で戦争が無くなるという思想も、また宗教では無いか?』と。

 今現在、日本へ侵攻したりジャパンバッシングを続ける中国・韓国・北朝鮮のようなならず者国家があり、彼らが責めてくる時に、

「憲法九条!憲法九条!」

と念仏を唱えれば、彼らは退散するとでも?どんな悪いジョークですか、それは。
 世界はですね、弱肉強食であり『普遍的正義』なんてものは存在しません。した事すら無い。
 たまに『世界的に評判が悪くなるから、中国が攻めてなんか来る訳がない』と仰る方も居ますが、それじゃウクライナはどうです?
 ロシア人テロリストがウクライナでやりたい放題、全く関係ない民間機まで撃墜した上、遺品を漁るという獣以下の行為へ手を染めていますが、どう思いますか?憲法九条で止められると?


 難しい事は言いません。現実を見ましょう、現実を知りましょう。そして現実へ対処しましょう。
 私達日本人の平和を脅かすならず者国家が、日本のすぐ側にあり、彼らは恒常的にヘイトスピーチ・ヘイトクライムを繰り返しています。彼らに対抗するのは当然の話、彼らの代理人に成り下がっている政党を追い出すのも当たり前です。

 戦いましょう、現実と。守りましょう、私達の子供の未来を。


文責;弾犀@奇蹄類


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