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ポピュリズムを捨てて、現実と向き合おう

 自由とはどこにでもある権利ではありません……と、言ってもピンとくる方は居ないでしょうが、まぁそれはとても幸せな事なのかも知れませんね。
 ですがこの『自由』、大勢の人間が文字通り命を賭けて守ってきたものであり、決して産まれながらに与えられる権利ではありませんよ。
 それを知らずに綺麗事ばかり言う輩は、いつの時代もどこにでも居たようで。今日もそんなお話です。


塩野 七生(しおの ななみ)著『海の都の物語───ヴェネツィア共和国の一千年 上巻』第三話の冒頭より引用
http://blogs.yahoo.co.jp/zodiac3721/9569729.html
 数年前、日本である人に、こんな質問をされた事がある。
「現実主義者は、それが個人であっても国家であっても、なぜ常に憎まれてきたのだろう?」
 もちろん、彼と私の間では、現実主義についての定義づけを、あらかじめする事などは必要ではなかった。
 我々二人にとっては、現実主義とは、現実と妥協する事ではなく、現実と闘う事によってそれを切り開く生き方を意味していたからである。
 だが、その時の私は、彼の質問に答える事ができなかった。しかし今ならば、それができるような気がする。

「現実主義者が憎まれるのは、彼らが口に出して言わなくても、彼ら自身そのように行動する事によって、理想主義が実際は実に滑稽な存在であり、この人々の考え行う事が、この人々の理想を実現するには、最も不適当であるという事実を、白日の下に晒してしまうからなのです。
 理想主義者と認じている人々は、自らの方法上の誤りを悟る程には賢くはないけれど、彼ら自身が滑稽な存在にされた事や、彼らの最善とした方法が、少しも予想した効果を生まなかった事を感じられない程には愚かでもないので、それをした現実主義者を憎むようになるのです。
 だから現実主義者が憎まれるのは、宿命とでも言うしかありません。
 理想主義者はしばしば、味方の現実主義者よりも、敵の理想主義者を愛するものです。」
 第四次十字軍の「悪者」は、日本の高等学校の西洋史の教科書から、十字軍史の世界的権威とされるランシマンまで、ヴェネツィア共和国である事で一致している。
 真の理想主義は現実主義からしか生まれないという現実を知っている人以外は・・・・・・・。
(引用終了)


 あぁ何故かとても腑に落ちる言葉ですね。理想主義者は現実を見れないが、ある程度は知能を有しているので自分達に出来ない現実主義者を憎む、と。
 どこかの万年野党や政権交代詐欺師、報道テロリストに教えて差し上げたい言葉です。

 理想を、自分達の願望や希望へ対して邁進するのは罪ではありません。それどころが明確な目標を掲げ、実現しようと努力するのはこの上なく尊い行為であると私は思います。他の方もそうでしょうが。
 でも画に描いた餅を食べようとしていたり、おとぎ話を真に受けている人間が居たら、普通は止めますよね?要はそれですか。

 現実がこうあって、それに対して私達は向き合う必要があります。それに対して妄想を根拠とした夢物語を騙られても……困るだけなんですがねぇ。
 騙っている当人はまぁ幸せなのかも知れませんが、詐欺師や狂人を信じたとして、不幸になったり巻き込まれるのはあなたなのですから、くれぐれもご注意下さい。


文責;弾犀@奇蹄類


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