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リソース 〜「江戸時代へ帰ろう」は親兄弟を間引かねば実現出来ない〜

 多忙につき更新が殆ど月一回になっています。わざわざ読んで頂いている方には大変恐縮で御座いますが、もう暫く続くと思います。

 さて――では今日は『リソース』の話です。最近とみに耳にする機会が増えていますよね、『Resource(資源・供給源)』が。
 恐らくはOS関係の用語で、OSに割り振るメモリの話だったのが、今では、「人的リソースを割かねばならない」みたいに、配分的な意味合いで使われる事が多いようです。
(限られた手札の中から使うという意味では正しいでしょうが、この手の言葉に正確性を求めるのは難しいでしょうか)

 例えば100の仕事量を出来る人間が居たとしましょう。彼は幾つかの仕事を並行して進めており、60・30・10の案件を任されています。
 これに対して会社側が「40の仕事をしろ」と言われたとしても、どう考えてもオーバーワークになるため、こなす事は難しいでしょう。
 従って現在している仕事、30と10の案件を一次停止するか、他の人間へ任せる事で30の仕事を出来る――そう、『リソースを割り振った』訳ですね。

 これは個人の体力にも、また月々の家計にも例えられますね。重い荷物を持つにも限界があり、その上で更に持つように言われれば、以前の荷物をどうにかし なければいけません。また新しい出費が出てしまう際には、今までの家計を切り詰めると。多分真っ先に着られるのはお父さんのお小遣いか遊興費でしょうが。

 以上の事は私達人間の生活に言える事です。そうですね、今だと大抵のご家庭であれば、ガスのスイッチを捻れば火がつきますよね?もしくは電気式のIHかも知れませんが。
 でもこれ、江戸時代であれば火打ち石を用意し、火種をつけて大きくし―……という多大な手間暇がかかりました。
 また個人の家、特に長屋等では風呂場はなく公衆浴場へ行っていました。何故ならば『個人が湯を沸かし、それに浸かるなど膨大なコストを必要とした』からです。

 現代に住む私達は科学と文明の恩恵を受け、そういった様々な事柄へ労力を使わずに済んでいます。その分の時間や余裕を他で使う事が出来る――『リソースしている』という事ですね。


 さて、ですが。反原発派がよく使う台詞で「江戸時代へ戻ろう!原発がなくたって誰も困りはしないんだ!」と。
 あー……そのですね。まぁ良いとは思うんですよ、誰が何を言おうとも、どんな主義主張をしようとも(犯罪や犯罪教唆でない限り)許容されるべきですね。
 でもその、江戸時代の人口ってご存じですか?wikiソースですが、

西暦1600年 1200〜2200万人
西暦1872年 3311万人

と、大体今の四分の一程度の人口になっています。
 と言うのもですね。共同体には適正人口というものがありまして、ぶっちゃけ一つの田畑から採れる収穫物には限度があります。また耕すにも維持するにも、当時の農村では多大なリソースを配分しなければいけませんでした。
(※この使い方は間違いです)
 今のように子供を多くすれば政府から補助金が出る事もなく、全て『自己責任』で育てればいけませんでした。
 ですがどうやった所で、むやみやたらと増やしていては一家共倒れとなるため……まぁ、私が調べた限りでは、4人以上だと産まれて泣き出す前に間引いてしまう場合が。
(産声を上げる前に、というのが習わしだったそうです……勿論、親は好き好んでやる訳もなく、そうしないと家庭を維持出来ないからです)

 また当時の日本は鎖国をしていて、今のように燃料を海外へ頼る事はなかった――ので、当然煮炊きするのはほぼ全て木材を消費していました。
 その結果、今で言う『熊野古道はほぼ禿げ山だった』んですがね。当然燃料に使うためです。

 そんな時代へ戻りたいですか?江戸時代へ戻ると言う事は、当時の適正人口である3300万人程度まで、私達日本人を減らさないと生活は成り立たないんですが。
(そして経済を捨てるのだから、燃料等を輸入も停まり、国民の多くが第一次生産者にならなければ、もっと多くの人が餓死して死ぬ)



 ……まぁ、アレですね。現代農耕ですら農業からの離職者が多いというのに、この人達は何を言っているんだろう?と思う事はしばしばあります。
 理想を言うのは誰にも出来ますし、それはきっと良い事なのだと思います。困難な目標を実現させたいと願うのは。
 けど、それは果たした現実に即したものであるのか?また実現出来るようなものであるのか?それを真っ先に考えなければいけません。

 現代日本が江戸自体へ戻る――これが意味しているのは理想郷ではなく、多くの人間が日の出から日の入りまで農業に従事する環境へ逆戻り、しかもそれだけでは人口を維持出来ないため、自身の親兄弟を間引かねばいけません。
 どこかで言ったような気がしますが、第二次世界大戦前、白人至上主義が世界を覆っていた時代には『ロマンチシズム』というものが流行っていました。
 これは遙か昔のローマ時代を懐古する思想であるのと同時に、『自分達白人こそが世界を導かねばならないのだ』という狂った思想でもあります。
(詳しくは『エルギン・マーブル』を調べてみて下さい)

 私にはこの思想と「江戸時代へ戻ろう」が同じものであるように見えますね。嘗てあったものを肯定し、負の側面を一切省みずに持て囃す行為を。
 まるで理想郷は過去の時代にしかなく、みっともなく縋り付く様は滑稽でもあります。


文責;弾犀@奇蹄類


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