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寛容社会を唱える人達の不寛容なロジック

 最近、増えてきましたねぇ『不寛容社会』とやら。差別や人道・人権キャンペーンの一環でしょうが、よくもまぁこれだけ次から次へと薄っぺらい言葉を引っ張ってこられるものだと感心します。
 要はアレですね、「特定外国人(中国・韓国・北朝鮮)を嫌う奴らは不寛容社会だ!」であり、「俺達の言う事を聞かない奴らはレイシスト」の形を変えただけに過ぎません。だって率先して音頭を取っているのが、朝日捏造新聞や自称有識者と面子が全く同じですから。

 誰かを受け入れる、誰かを受け入れない――これ自体は軽々に判断してはいけないテーマであると私は考えます。極論で言えば結婚で増えた親戚付き合いを断る訳にもいきませんし……というか、そもそも『不寛容』であるならば他人様と結婚は出来ません。
 かといって近所に暴力団や過激派などのテロリスト(反社会性団体)が引っ越しでもしようものであれば、私は受け入れるような事はせず反対運動を進めます。

 何も中庸が大事と言っている訳ではありません。寛容だからと言って全てを受け入れるのは無理ですし、不寛容だからといって全てをお断りするのもまた無理だからです。
 問題になっているのは『寛容派()と名乗っている個人・団体が、さも不寛容派閥が存在し、排他主義を取っているかのような言論に終始している』事でしょうか。分かりますか?

 確かに「他人を受け入れよう(※ただし特定アジア限定)、仲良くしよう」という層は、そう唱える一定の人間は存在します。まぁ是非はともかく、いいと思いますよ。
 ですが「全ての移民を排斥しよう!俺達は不寛容団体だ!」……などと言っている人達、私は見た事がありません。

 ……結局の所、これもまたただのレッテル張りの一種でしかないのですね。寛容社会を訴える人達のロジックがお粗末すぎる。例えば、

1.最近は不寛容社会になりつつある(提議)
2.例えば移民反対、例えば震災の炎上事件、これは不寛容社会に陥っている証拠である(例示)
3.よって不寛容な人間はもっと他人に寛容でいなければならない(結論)

……えぇとですね、これだけ短時間に、しかもたかだか数行に矛盾を入れたロジックも珍しいのですが、という別の意味でも興味深いでしょうか。
 『他人へ対して“寛容であれ”と説きつつ、自分達は他人の意見を受け入れない』という、まぁ正直頭の痛い、もしくは悪いロジックです。嫌いじゃないですが。
 移民反対や不謹慎発言全般へ対する批判を「不寛容が原因である」と決めつけているのも、まぁ色々なものが足りない証拠でもありまし――何よりも「憲法改正や集団的自衛権反対」などの思想へ対しては、絶対に「不寛容」とは言いません。

 私の結論から言いますと、誰が何を言おうとしようと法の範疇であれば自由だと思います。勿論賛同を得るか、白い目で見られるかは分かりませんし、それもまた自己責任です。他人を批判すれば批判されて然るべき、それは現代においては当たり前の事です。
(※それが嘘や中傷でない限りは。そしてまた反論する権利も持ちますが)
 不寛容社会というのも、結局の所特定思想が気に食わない、気に入らない人達が頑張って生み出したロジックで有り、議論に値するものではないと考えます。
 何故ならば『不寛容を止めろ!』と称して保護するのは特定アジアや特定団体関係者だけであり、これが在日米軍撤退や憲法改正反対、そして集団的自衛権へ反対する団体へ向かっては、何故か言われないのですから。

文責;弾犀@奇蹄類


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