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さも賢者と称する愚者 〜予言は出来るが、対案は出て来ない”有識者”〜

  プライベートな出来事で恐縮なのですが、一月半ば、高校時代の友人の墓参りへ行って参りました。詳しい事情は伏せますが、彼はご両親よりも早く鬼籍へ入っ ていまい、以来私は(可能な限り)彼の命日が近づくと墓を掃除し、墓前へ花やジュースを捧げ、墓石の前で頭を垂れては帰って来ます。
 ですが、此は彼の魂があると思ってしているのでは御座いません。いや、勿論あれば嬉しいですが、少なくとも私は一切信じていません。
 では何故そのような事をするのかと言えば、“彼のご両親やご家族に、「貴方の息子を覚えていて、今も大事にしている人間が居る」と伝える”ためです。
 まぁ……“彼のため”ではなく、“彼が大事にしていた人達のため”、と言う事でしょうか。逝ってしまった人間ではなく、残された人間の心穏やかにするため、と。

 どうでしょうね?以上の葛藤やら内心は、誰にも話した事はないので、ご家族には「偽善者」と罵られるかも知れません。また私のHPをご覧になっている方の中にも、「信じないのであれば行く必要はない、むしろ莫迦にしている」と仰る方も居るかも知れません。

 ですがね、結局の所私達は故人に関わらず生きていかねばいけません。過去を大事にするのは当然としても、同等に現在と未来は大事でしょう。


 例えば早く子を亡くした親御さんが、水子供養をしたいとお考えになるかもしれません。一応前に少し話しましたが、日本の場合だと数えで七つになるまで「子供は神様からの預りもの」と称し、命を落としてしまっても弔いませんでした。
(幼児期の死亡率が高かったので、亡くなってもあまり気に病まないように、と言う背景もあります)
 だからといって(七つ子さまの風習が全国で行われていたわけではありませんが)其のご両親へ、「水子供養をするな、そんなのは意味がない」等と偉そうに言うのもまた筋違いだと思います。

 何処で折り合いをつけるか、言ってしまえば満足出来るのであれば、其れは第三者が止める筋合いでは無いとも思います。
 死んだ子の歳を数えるのも良いし、水子供養して成仏したとするのも、ご両親が納得すれば其れに越した事はありません。

 同様に私が全く信心を持たず、彼のお墓参りをするのも、決して彼のためではなく、ご両親やご家族のために行っているのですが……まぁ、実は其れすらも、私の自己満足なのでしょうね、きっと。否定はしません。
 が、しかし其の自己満足の偽善を、たった20年近く続けている莫迦はあまり居ない、かも知れませんが。


 さて、前置きが長くなってしまいました。
 信仰や宗教について色々と考えさせられる事はあるのですが、私は“信じる事”にあるのだと思います
 日々の生活に追われ困窮している人間が、僅か数個の言葉を唱えるだけで極楽浄土へ行ける、とか。また迫害されている人間達が、神の名を唱えて現在の困難をどうにかしようとする、そう言った姿が信仰の本質であると考えています。
 信仰に縋る――あぁいや言い方が悪いですね、えっと……信仰に救いを求める、事こそが宗教のあり方なのでしょう。文字通り信じる者は救われる、と

 他人から見ても滑稽なものであっても(特に異文化と接する場合)、当事者が納得出来たり満足するのであれば、其れは時として金銭では計り知れない価値を持つでしょう。

 苦しい時、助けが欲しい時、某かの信仰や其れに近いものに頼り、克服するのは大いに結構な話だと思います。原始キリスト教が少数派へ救いの手をさしのべていた(除くグノーシス派)よう、其れは尊いものだと思います。
 また日本に於いても聖と呼ばれる人間が、全国を歩いては教えを説いていきました。人々は信仰を持つ事によって苦しみを和らげ、救いを得られたのは間違いありません。


 が、しかし、です。救いを求める人間が信仰で安らぎを得る反面、“危機を煽って信仰を押しつける愚者”が居ます
 壺を買えば前世でも因縁が解決するだの、貴方の家系は呪われて居るだの、本来は人々の心の安寧を得る筈の宗教・信仰を使い、人々の心をかき乱しています。
具体的には韓国発祥の統一“協会”(バチカンから破門されたので、彼らは教会という言葉を使えません)を筆頭に、日本には様々なカルトが存在します。

 宗教勧誘のセオリー 〜宗教だと知られていないカルト〜、と言う記事でも話しましたが、基本的に彼らは某かの不安を誘います。そしてある程度相手の心を揺らした上で、

「助かるには俺の言う事を聞け」

と持っていきます。
 ……まぁ実際の所、既存の宗教勧誘でもそう言った手口は行われてきました。でも大体は筋の通った範囲の話だったんですね。悪い事をすれば地獄に堕ちるだの、戒律を破れば救われ無いだの、ですか。
 が、そういった教えの殆どは集団生活や、過酷な環境下で生きる知恵が多く、一概に非難出来るようなものではありません。また教義に対して第三者が言って良いわけもないでしょう。
 某政党のように堂々と活動するのを非難するつもりは全くありません。其れは彼らが宗教である事を自覚し、其の上で活動しているからです。

 しかし中には“自分達がカルトであるにも関わらず、まるで普通の主義・思想であるかのような団体”が多々あります
 私はそう言った方々へ声を大にして言いたいのですが、

「宗教や信仰で貴方達が納得し満足するのは構わない。しかし貴方方の宗教や信仰で、他人を納得させようとするな」

と。頼んでも居ないのに、望んでも居ないのに、勝手に危機を作り出し其れを克服するためと称して、カルトを吹き込むな、と私は主張します。
 まぁマスコミが良く取り上げる中では、“日本破綻論者”でしょうか。私が覚えている限り、少なくとも30年以上前から、「日本経済は破綻済する!」と言い続けてきました。
 結果未だに日本は健在ですし、其の発言をギリシャやアイスランドで言ったら殴られるでしょうが。

 更に言ってしまえば、其の人間の言う通り日本が破綻するのであれば、どうして其の方は数十年前から日本に住み、日本で本を書き、経済学者としてテレビに呼ばれ、今も尚破綻すると言い続けているのでしょうか?
 破綻する日本を捨ててさっさと逃げればいいのでは、と思うのは私以外にも多いでしょう。

 実際の所、日本破綻論者のロジックはカルトと同じです。「日本は駄目だ!終わりなんだ!」と叫ぶ一方、現実的な代替案の一つも載せず、ネガティブな(時には嘘まで吐いて)面を殊更に強調します。
(むしろ宗教を名乗っていない分、質が悪い)

 百歩譲って“彼らがもしも賢者であるならば、破綻を予言した頭脳を以て回避させる方法も浮かぶ筈”なんですね。要は不安を煽るだけ煽っておきながら、其の後は知らない。誰かがいつかなんとかして解決するだろう、と。無責任にも程があります


 日本のマスコミも其の例に漏れません。アベノミクスを連発し、財政拡大路線を国民一人当たりの借金、としきりに批判します。
 其れはまぁ良いでしょう。政府の借金であり国民の資産である、と言う根本的な間違いはさておき(と言うか悪質な詐欺なのですが)、事実は事実ですね。
 では“現在の路線が間違っているのであれば、一体どんな舵取りをすればいいのか?”について言及してあるマスコミは皆無です。

 何故ならば“マスコミもカルトと大差ない”と私は思っています。現在に対しての不安を煽る事は出来る一方、解決策を講じるような能力は持っていない、と。
 ……まぁ?そんな解決方法を“本当に”持っていれば、マスコミなどへ入社せず、経済畑や官僚、場合によっては政治家として国政を担っているでしょうから、所詮は“部外者がなんの責任も負わず、自分達の言いたい事を叫いているだけ”に過ぎないでしょう。
(飲み屋で私のようなオッサン達が、「俺が野球監督だったらこうする!」と言っているのと大差ありません)


 他にも日本の平和団体の方々が中国や韓国を敬愛したり、友情を結ぶのは勝手になさって下さい。謝罪と賠償がしたければご自分の全財産を寄付するのもどうぞ。
 しかし“日本が引けば中国や韓国と仲良くなれるという宗教”を、他人へ押しつけるのは止めて下さい。貴方方にとって其れが救いになっても、現実問題として軍拡を続け日本の領土を侵略しようとしている以上、私達は此以上政治的な譲歩をする段階にはありません。
(そして面白い事に、そういった彼らへ謝罪と賠償をしようという故人・団体に限り、身銭を切って補償した話を聞きませんが)

 誰が何を信じようと勝手です。しかし自分達が信じたからといって、其れを他人へ押しつけられると思うのは愚の骨頂かと。某かの科学的・経済的な裏付けがあるのであれば兎も角、訳の分からない寝言はもう辟易しています。
 同様に批判するのも結構ですし、非難するのも良いですけどね、であれば対案を出せと。
 民主党のような埋蔵金とか、訳の分からない脱官僚とか寝言を言ってないで、現実的な対案をどうかお願い致します。

 ……まぁもしも貴方が救われる、と言うのであれば、マスコミと言う“宗教の体を取っていない宗教”を信じるのもご自由にどうぞ。
 彼らが数年前に唱えた予言、「セイケンコウタイ」を何度呟いても、誰一人、何一つ、救われる事はありませんでしたが。
 あぁいや誰一人は言い過ぎかも知れませんね。訂正してお詫び致します――“過度な円高を放置したお陰で、多くの日本人の職は奪われ、中国と韓国は多いに潤った”と言う功績を、私達日本人は忘れてはいけないでしょうから。

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